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ブラック・ピーター殺し(5)
日期:2024-02-15 21:47  点击:304

 待ちに待った夜の来訪者は、まだ若い弱々しいやせっぽちだった。黒い口髭がそのまっ

さお な顔をさらに青くしている。まだ二十歳をいくらも出ていない。私はいまだかつて、

これほど哀れに物怖 ものお じしている男を見たことがない。歯をがたがたかみ鳴らし、手足と

もに震えている。身なりは紳士らしきもので、腰にベルトのあるノーフォークジャケッ

トにニッカーズボンをはいて、ラシャ帽をかぶっている。じっと見ていると、怯 おび えきっ

た目つきであたりを見まわしている。

 やがて短いローソクをテーブルの上におき、部屋の隅へ行ったのでわれわれには見えな

くなった。だがまもなく大きな本を持って来た。棚の上に並んでいる航海日誌の一冊であ

る。テーブルによりかかって日誌のページを慌 あわただ しくめくっていたが、探している所を見

つけたらしい。拳を固めて、怒ったような身振りをして本を閉じ、それを棚に返して灯を

消した。そして小屋を出ようとした瞬間、ホプキンズに襟首 えりくび を押えられた。

 押えられたと知って、恐怖のあまり、うめき声ともつかぬ大きな叫び声をあげた。ふた

たびローソクが灯されると、この曲者は警部に押えられ、小さくなって震えている。船員

室に坐りこみ、われわれを絶望的な目で見まわした。

「おい、若いの」ホプキンズが口を切った。「誰だ、君は? 何しに来たんだ?」

 男は気を鎮 しず め、落ち着きを取り戻そうとしながら、われわれを見た。

「刑事さんでしょう。ピーターケアリ船長の死と僕を結びつけようとなさってるんで

しょうが……ぼくは、絶対に、無関係です」

「いずれわかることだ。それよりまず、君の名前は」

「ジョンホプリーネリガンです」

 ホームズとホプキンズはすばやく目くばせをした。

「何しに来たんだ?」

「内々お話ししたいんですが」

「いや駄目だ」

「どうして話さなきゃならないんです?」

「答えなければ裁判のとき不利になるぞ!」

 若い男は怯 ひる んだ。

「お話ししますよ。ええ、話したっていいですよ。ただ、旧悪をあばかれるのが嫌なだけ

です……ドースンアンドネリガン商会というのをご存じでしょうか?」

 ホプキンズはと見ると、知らないようだ。しかし、ホームズは強く心をひかれたらし

い。

「西部地方の銀行家だろう。百万ポンドの支払不能に陥 おちい って、コーンウォールの家庭の

半数を零落 れいらく させたあげく、ネリガンは逐電 ちくでん しちまったんだよ」

「そうです。そのネリガンは僕の父です」

 どうやら、否定しがたいものをわれわれは握ったようだが、でもまだ失踪 しっそう した銀行家

と、自分の銛 もり で壁に釘づけにされたピーターケアリ船長との間には、だいぶ大きな溝 みぞ

があるようだ。

 三人はこの男の話に耳を傾けた。

「実際に関係のあったのは父なんです、ドースンはもう引退していました。僕はそのとき

十歳でしたが、そのことが恥であり、また怖しいものであると充分知っていました。株券

をそっくり盗んで逐電したと言われていますが、事実じゃないんです。もう少し期日があ

り、証券を全部現金にしてさえいたら、きっと債務を果たせると信じていたのです。父は

逮捕状が出る少し前に、小さなヨットでノルウェーに向いました。

 最後の晩、父が母に別れを告げたときのことを僕は忘れません。父は自分のもっている

証券の一覧表を残して、必ず名誉を回復して帰ってくること、さらに自分を信頼してくれ

る人に苦汁 くじゅう はなめさせないことを誓ったのです。しかし、それっきり父から何の音沙汰

おとさた もありませんでした、ヨットもろとも消え去ったのです。

 母と私とは、父は持っていた証券もろとも海底に消え去ったのだと信じていました。と

ころが、私たちには信用のある友人の実業家があり、あるときこの人から父の持っていた

証券の一部がロンドンの株式市場に現われたと聞いたのです。私たちはびっくりしまし

た。何か月もかかって出所をつきとめようと、さんざん骨折ったかいがあって、やっとこ

の小屋の主人ピーターケアリ船長が売りに出したことがわかったんです。

 当然、この船長の身元を洗ってみました。そしてこの男が捕鯨船の船長で、父がノル

ウェーに渡っているときに北氷洋からの帰路にあったことがわかりました。その年の秋は

嵐があり、南から強風を吹きつづけ、父のヨットが北のほうへ吹きつけられ、ピーター

ケアリ船長の船と出会ったことも充分考えられます。もしそうだとすると、父はどうなっ

たのでしょう?

 いずれにしろ、そのピーターケアリに会って、どうしてこの証券が市場に出たかを聞

きだせれば、父がこれを盗み出したものでもなく、また持って出たのも、決して私利のた

めではなかったこともはっきりしたと思うんです……。

 それゆえ、船長に会うためサセックスまでやって来ましたが、折も折、この恐ろしい殺

人事件が起こったのです。検屍の調書をよんで、この小屋のこと、航海日誌が残っている

ことなどを知り、一八八三年の八月、シーユニコン号で何があったかがわかれば、父の

運命についての謎も解けるのではないかと思い込んだんです。ゆうべも航海日誌を見よう

とやって来たんですが、戸が開きません。今晩やっと成功したところでした。でも肝心 かんじん

の八月のところは破り取られています。そのとき、僕はあなた方の腕の中に捕えられてい

たんです」

「それで全部か?」とホプキンズが聞いた。

「はい全部です」といって、男は視線をずらした。

「もう他に言うことはないね」

 男はためらった。

「はい……ありません」

「ゆうべが初めてだと言うんだね」

「ええ」

「じゃあ、これはいったいどうしたんだ!」とホプキンズはのっぴきならぬ罪証の手帳を

突き出した。

 最初のページにJNという男の頭文字、表紙には血痕が……。


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09/29 07:47