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六個のナポレオン(2)
日期:2024-02-15 21:55  点击:221

「偏執狂の行動の可能性には限界がありませんからね」と私は答えた。「近代フランスの

心理学者が《固定観念》と称している心理状態があるのです。それは性格においてはごく

微々たるものであり、他の方面ではまったく健全なのですがね。ナポレオンの本を読みす

ぎたりナポレオン戦争で家族が何か危害を受け、それが遺伝的に受けつがれているような

男なら、こんな固定観念を持ち、その影響で何か空想的な乱暴狼籍 ろうぜき を働くことも考えら

れるかもしれませんね」

「それは説明にならないよ、ワトスン君」とホームズは首を横にふった。「なぜならね、

いくら固定観念を積み重ねたって、君の言うこの興味ある偏執狂氏が、胸像のありかを知

るようにはならないからね」

「では、君ならどう説明するんだい?」

「僕は説明しようとは思わない。僕はこの男のおかしな行為にはある種の法則があるって

ことを調べてみたいだけさ。たとえばね、バーニコット博士の玄関では、そこでこわした

ら、物音で家人が起きてしまうから、こわす前に外に運びだしている。ところが分室では

人に騒がれる危険がさほどないから、その場で叩きつけている。これは馬鹿げたつまらぬ

ことに見えるけれどもね。だが僕の手がけた事件でもっとも代表的なもののいくつかは、

ほとんどその初めでは何も有望な手がかりがなかったことを思いおこすと、僕はどんなも

のでもつまらんとは言わないんだよ。

 ワトスン君、覚えているだろう。あの恐ろしいアバネッティ家の事件は、暑い日にバ

ターにはまりこんだパセリの深さに気づいたのが始まりだったってことをね。だからね、

このこわされた二つの胸像にも、君と一緒に笑ってはいられないんだよ。レストレイド

君、この一連のおかしな事件に何か新しい進展がみられたら、どうか聞かせて下さいよ」

 私の友人が求めていた事件の進展は、彼の予想以上に早く、まったく悲劇的な形で起

こった。翌朝私がまだ寝室で服をつけている最中に、ドアをノックして、ホームズが手に

電報を持って入って来た。彼は声を出してそれを読んだ。

ケンジントン区ピット街一三一ヘスグキタレ

 ……レストレイド

「なんだろうね」と私は尋ねた。

「わからないが……何かあったのだろう、胸像事件の続きだと思うよ。そうだとすれば偶

像破壊者君はロンドンの他の地域でも行動を開始したんだ。テーブルの上にコーヒーがあ

るよ、ワトスン君。入口には馬車が来てるし」

 三十分でわれわれはピット街に着いたが、そこはロンドン生活という流れの中で、最も

活発なところのすぐそばにある、小さな静かな淀 よど みといったような所であった。一三一

番地は、平屋の見かけはいいが、まことに無風流な家並の一軒であった。われわれが馬車

で乗りつけると、家の前垣には物見高いやじうまが、ずらりと並んでいるのが見えた。

ホームズは口笛を鳴らして驚きを示した。

「おやおや! 少くとも、これは殺人未遂ぐらいだぜ。それほどでなかったらロンドンの

メッセンジャーボーイが立ち止ったりするもんか。あの男が背をまるめているし、首を

のばしているんだから、暴行事件があったことはたしかさ。おやワトスン君、これは何だ

ろう? いちばん上の段は水に洗い流されているが、あとのところは乾いてるよ。どっち

みち足跡はたくさんある! よしよし、レストレイド君が正面の窓の所にいるよ。すぐに

すっかりわかるさ」

 レストレイドは非常にむずかしい顔付きをしてわれわれを迎え、客間に招じ入れた。そ

こにはひどくだらしない恰好をして、興奮したかなり年配の男が、フランネルの化粧着を

着て、あちこち歩きまわっていた。彼はこの家の主人で、中央同盟通信社のホレスハー

カー氏だと紹介された。

「またナポレオン事件なんですよ」と、レストレイドは言った。「ホームズさん、あなた

は昨夜たいへん興味をおもちになった様子なので、事件が重大な変化をとげた今、現場に

お招きしたほうがよいと思ったんです」

「で、どんなふうに変わったのですか」

「殺人にですよ。ハーカーさん、この方たちに起こった事をありのままお話し下さいませ

んか」

 化粧着をつけた男は、まったく憂鬱そうな顔をしてわれわれのほうを向いた。

「生まれてこのかた、私はずっと他人のニュースを集めてきました。ところが今度は実際

のニュースが、面くらって二の句がつげないようなやり方で、わが身に起こるなんて、

まったくおかしなこってす。もし私が新聞記者としてここにやって来たら、私は自分に面

会して、夕刊紙に二段抜きで書いたでしょうよ。ところが実際には何人もの違った人に、

くりかえし同じ話をしなくちゃならないので、貴重なタネが人手に渡っちまって、自分

じゃ役に立たなくなってしまいますよ。だが、ホームズさん、あなたのお名前はうかがっ

ておりました。だからもしあなたが、このおかしな事件を説明して下さりさえすれば、私

が事件を話す煩わしさも報いられるというものです」

 ホームズは腰を下ろして聞き入った。

「それは、私がこの部屋に飾ろうと、およそ四か月前に買ってきた、あのナポレオン像が

中心になると思われます。ハイストリート駅から二軒目のハーディング兄弟商会から安

く買ってきたものです。新聞記者としての仕事はだいたい夜やるのですが、早朝までやっ

ていることもちょいちょいあり、今日もそうなのでした。およそ二時頃でしたか、最上階

の裏向きにある私の部屋で起きていると、たしか階下で何か物音がしたと思いました。耳

をすましてみましたが、もう何も聞こえませんでした。ですから私はこの音は外でしたの

だと思いました。ところが五分ほどたつと突然、まったく身の毛のよだつような絶叫が聞

こえました。ホームズさん、それは今まで聞いた中でも、最も恐ろしい叫びでした。そい

つは生きている限り私の耳でなり続けるでしょうよ。

 私は一、二分間、恐怖に釘づけになっていました。それから火かき棒をとると階下に降

りて行きました。私がこの部屋に入ると窓があけひろげられているのがわかり、暖炉から

胸像が消え失せているのがすぐにわかりました。いったいどんな強盗が、なんのわけで、

そんなものを持ち出すんだろうか、わかりません。と申しますのは、そいつはただの石膏

像で実際にはちっとも価値なんかないのですからね。その窓をのり越えて出れば、誰でも

大股にひとまたぎすると玄関の階段に行きつけます。たしかに強盗もそうしたのです、で

すから私はまわってドアをあけました。暗闇に足を踏みだすとすぐに、私はそこに横た

わっていた死人の上にあぶなく倒れるところでした。私は走って行ってランプを持って来

ました。そこには哀れな男が倒れており、喉笛 のどぶえ は深くかき切られ、あたりは血の海でし

た。男は膝を立て、恐ろしげに口をあけたまま、あおむけになっていました。たぶん夢に

見ますよ。私はやっとのことで呼子笛を吹くと気が遠くなってしまったに違いありませ

ん。廊下で警官が私をのぞきこんで立っているのに気づくまで何もわかりませんでしたか

ら」


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06/27 00:43