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金縁の鼻眼鏡(5)
日期:2024-02-20 14:50  点击:236

 私はいまだかつて、こんな奇妙な顔をした人を見たことがない。われわれのほうに振り

向いた顔は、やせ衰えて鷲 わし のようで、ふさふさした眉毛の奥深くの目は暗く、鋭かっ

た。髪と髭 ひげ は白かったが、おかしなことに口の周囲だけが黄色く汚れていた。巻き煙草

の火が白いもじゃもじゃした髭のなかで赤く光っている。部屋の空気はよどんだ煙草の煙

の匂いで満ちていた。彼はホームズに手をさしのべたが、その手もニコチンで黄色く染

まっていた。

「ホームズさんとやら、煙草はおやりですかな」上品な英語だが、多少気どったおかしな

アクセントで彼は言った。「どうぞ煙草をお取り下さい。あなたはいかがですか? この

煙草はお進めできます。何しろアレクサンドリアのイオニデスに特別に注文したものです

からね。一回千本ずつ送らせていますが、それが二週間ごとに新しく送らせなきゃ間にあ

わぬ始末でございましてね。毒だ、毒だと思いながら、老人には他に楽しみもありません

ので。煙草と仕事……これだけですよ、私に残されているものは」

 ホームズは煙草を取って、ちらちらと射るような目つきで部屋の様子を眺めた。

「煙草と仕事。しかし今となってはもう煙草だけですわい」老人は叫んだ。「何て情 なさけ な

いことだろう! こんな恐ろしい結末になろうとは、誰が想像できたでしょうか? 才の

ある青年だったのに! 二、三か月手ほどきしてやったら立派な助手になりましたです

よ。ホームズさん、あなたはいったいこの事件をどうお思いなさる?」

「まだ考え中でしてねえ」

「このわけのわからない事件を、あなたが解決して下さったら本当に助かります。この哀

れな病弱の老読書家には、この打撃はひどくこたえましたわい。ものを考える力さえなく

なってしまった。しかしあなたは活躍家だし……こんなことには慣れておいでだ。むしろ

こんなことはあなたの生活では茶飯事でしょう。どんな危急のときでも落ちついておられ

る方だ。あなたのような方に来ていただいて本当にありがたい」

 老教授がしゃべっているあいだ、ホームズは部屋の片側を行きつ戻りつしていた。彼は

ひどく急 せ きこんで煙草をふかしていた。彼も主人同様、新着のアレクサンドリアの巻き煙

草が気に入っているようだった。

「本当に手ひどい打撃ですよ」老人は言った。「あのサイドテーブルに積んであるのが私

の著述です。シリアやエジプトのコプト人修道院で発見した記録を分析して、キリスト教

やユダヤ教の根本理念を解明しようというわけです。しかし私は健康ではないし、助手も

いなくなったとなれば、完成できるかどうかもわからん。ところでホームズさん、あんた

は私より愛煙家とみえますよ」

 ホームズは笑った。

 彼は新しく四本目の煙草を箱からとって、吸い終えた吸いさしから火を移しながら言っ

た。

「私は煙草の鑑定家でしてね。ところでコーラム先生、私は犯罪の行なわれた時刻には教

授はベッドにおいでになって、何もご存じなかったということをもう知っておりますか

ら、長い面倒な質問はいたしますまい。ただひとつ伺いたいのですが……あの可哀そうな

青年がいまわのきわにいった言葉、《先生……あの女です》ということを、どうお思いで

しょうか?」

 教授は頭を振った。

「スーザンは田舎娘ですし、あの女の嘘みたいに薄ばかなのはおわかりでしょうがな。ス

ミスはとりとめもない、うわ言を言ったのを、スーザンが伝言と聞きとったのと思います

がなあ」

「なるほど、で、あなたご自身はこの惨劇をどうお考えで?」

「おそらくは不慮の出来事でしょうな。ここだけの話だが、たぶん……自殺と思います

な。若い連中は人に知られぬ悩みを持っているもの……スミスもおそらくわれわれの知ら

ぬ恋愛問題かなにかの悩みを持っていたんではないですかな。そのほうが殺されたと考え

るより妥当のようですが」

「しかし、あの鼻眼鏡は?」

「ああ! 私はただの学究……夢想家です。人生のそうした実際的なものはとんと説明は

できかねますわい。しかしな、あなた、色恋沙汰なんてものは変な形であらわれるもので

すて。まあまあ、もっと煙草をおとり下さい。この煙草をこんなに認めて下さるお方がい

るとは愉快なことです。扇子か手袋か眼鏡か……死出の旅路に形見として何を持って行く

か、そんなことはわかりませんわ。こちらのお方は草の上の足跡のことをお言いなさる。

でもそんなものは見間違いやすいものです。ナイフはきっとスミスがひっくりかえるとき

に遠くに投げたに違いありますまい。子供のように他愛もないことを言うようですが、私

にはウィロビー・スミスが、おのが手で命を縮めたとしか思えません」

 ホームズはこの考え方に打たれたらしく、考えこんで次から次へと煙草を取りながら、

しばらくのあいだ部屋の中を行きつ戻りつしていた。

 とうとう彼は言った。

「コーラム先生、箪笥の戸棚の中には何が入っているのでしょうか」

「泥棒の欲しいようなものはありません。一家のいろいろな書類や死んだ妻の手紙、私の

受けた大学の免状なんかでね。ここに鍵がありますからご覧になって下さい」

 ホームズは鍵をつまんでしばらく調べていたが、またもとに戻した。

「いや結構です。たいして役に立ちそうもありません。それよりお庭でいろいろなことを

頭の中で整理してみましょう。あなたのおっしゃった自殺説についても考えてみましょ

う。コーラム先生、お邪魔して申し訳ございませんでした。昼食後もういちどお邪魔いた

します。二時頃に、それまでに何か起こったらご報告に参りましょう」

 ホームズは妙にそわそわしていた。われわれは庭の小道をしばらくのあいだ黙って行っ

たり来たりした。たまりかねて私は口をきった。

「何か手がかりがつかめたかい?」

「僕のふかした煙草に解決の鍵がかかっているんだ。まったく当てが外れているかもしれ

ないが、まあ煙草が何か教えてくれるだろう」

「ホームズ、いったいどうして……」

「まて、まて、今にわかるさ。だめだとしたってかまやしない。もちろん眼鏡に戻って手

がかりをたどることもできるわけだが、思いついたので近道を選んでみたのさ。あ、マー

カー夫人がいる。五分ばかりいろいろ聞いてみようじゃないか」

 前にも述べたかもしれないが、ホームズはその気にさえなれば、女のご機嫌をとる手管 て

くだ を妙に心得ていて、簡単に女たちと気やすくなってしまうのである。彼の言った五分間

の、その半分もせぬうちに、彼は家政婦とうちとけてしまい、十年の知己かなんぞのよう

におしゃべりをはじめた。


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06/26 14:02