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金縁の鼻眼鏡(7)
日期:2024-02-20 14:51  点击:250

「あんたはどうかしておる!」彼は叫んだ。「あんたはたわごとを言っておるのだ。私が

女を逃がしたって? じゃ、いったい女はどこにおるのだ?」

「女はそこにいます」ホームズは言って、部屋の一隅にある本棚を指した。

 老人は両手をふり上げた。醜い顔には恐ろしい痙攣 けいれん が走り、そして椅子にくずれ落ち

た。と同時に、ホームズが指さした書棚の 蝶 番 ちょうつがい がはずれ開いて、一人の女が部屋に

飛び出して来た。

「その通りです。その通りですわ! 私はここにいます」

 女は外国なまりのある声で叫んだ。彼女は隠れ場の壁の埃 ほこり や、くもの巣をかぶって汚

れていた。その顔も埃にまみれていたが、そうでなくても決して美しいといえる顔立ちで

はなかった。なぜなら、さきにホームズが言った通りの肉体的な特徴が認められたし、そ

のうえ長くて、いかにも強情そうな顎 あご をしていた。暗いところから急に明るいところに

出たので、目がくらんだのであろう、女は立ったままわれわれがどの辺にいるか、確かめ

ようとまばたきした。彼女は今言ったように不器量ではあったが、態度に気品があって、

しゃくり顎や、しっかりあげた顔は非常に立派で、人をして思わず尊敬、感嘆の念を起こ

させるようなところがあった。

 スタンリー・ホプキンズは女の腕を捕えて、逮捕すると叫んだが、女は静かに彼をわき

に押しやった。その命令的な威厳は人を服従させる強さがあった。老人は椅子にもたれか

かり、顔の筋肉をぴくぴくさせ、血走った目で女をみつめていた。

「いかにも私は犯人です。私は隠れ場で一切 いっさい を聞き、あなたは真実をご存じだとわかり

ました。すべてを申し上げましょう。青年を殺したのは私です。しかしそれは不慮 ふりょ の出

来事だったとおっしゃった方、あなたの言われた通りです。私は私がつかんだものがナイ

フだったとは露 つゆ 知りませんでした。私はただ彼の手から逃れようとテーブルにあったも

のを必死になってにぎり、彼を打ったのです。これは本当のことなのです」

「奥さん、私はそれが嘘だとは思いません。ただ、たいへんご気分がお悪い様子で気にな

りますが」ホームズは言った。

 彼女はひどく蒼ざめ、顔が埃に汚れているので、いっそうものすごさを加えた。彼女は

ベッドに腰をおろして話しはじめた。

「もう時間があまりございません。ありのままを全部申し上げましょう。私はこの男の妻

なのです。彼はイギリス人ではなくロシア人なのです。彼の名前は言わずにおきましょ

う」

 初めて老人は狼狽 ろうばい した。

「おお、アンナ! お前は何ということを!」

 彼女は老人に軽蔑に満ちたまなざしを向けた。

「セルギウス、あなたはどうしてそんなあさましい生活にしがみついているのです」彼女

は言った。「多くの人に害を与え、良いことはひとつもしてやしない……自分自身にだっ

て。でも神がお召しになる前に、この老い朽ちた糸を私が切ることはできません。この呪

われた家の敷居をまたいだときから、私はもう我慢ができない気持でした。でも話してし

まわなければ、間に合わなくなりますわ。私はこの男の妻であることは申し上げました。

私たちが結婚したときは彼は五十歳、私はまだ二十 はたち の愚かな小娘でした。ロシアのある

市……大学で……その場所も今は申し上げません」

「おお神よ、アンナに!」老人は再びつぶやいた。

「私たちは改革者……革命家……虚無主義者 アナーキスト でした。彼も私も、そして多くの仲間が

いました。ところが警官が殺されるという事件が起こって、たくさんの仲間が逮捕された

のですが、証拠不十分でした。するとこの私の夫は自分の命を助け、巨額の報酬が得られ

るのをあてに、私たちの仲間を裏切ったのです。彼の自白によって私たちはみな捕えられ

ました。あるものは絞首台にのぼり、あるものはシベリアに流されました。私も流刑にさ

れたのですが、終身刑ではありませんでした。私の夫は不正利得をもってイギリスに来

て、ひっそりと生活していましたが、もし仲間にその居所がわかれば、一週間もせぬうち

に、正義の剣が下されるだろうことは、よく知っているはずです」

 老人は震える手をのばして煙草をとった。

「アンナ、私はお前の手の中にある。お前はいつも良い妻だったよ」

「私はまだ彼の徹底的な悪事は申しておりません。私たち結社の仲間に、ひとり私の心か

らの友だちがいました。彼は気品があり、無私で、愛情の深い人でした……私の夫とは正

反対ですわ。彼は暴力を憎んでいました。暴力が罪だとするなら、私たち仲間は全部罪を

犯したことになりますが、彼だけは違ったのです。彼はよく私たちに、そうした道に陥 おちい

らないように手紙をくれたものです。その手紙は彼の救いとなるはずでした。私のほうは

日記を書きました。そして、そこに毎日、彼への私の感情と、お互に交わした意見などを

書き込んだのです。それも彼の救いとなったはずのものです。ところが夫はそれらを隠し

てしまい、あまつさえ彼の命をも奪おうと企てたのです。夫はこれに失敗しました。しか

し、アレキシスは罪人としてシベリアに流され、今でも、このたった今でも塩坑 えんこう で働い

ているのです。考えてもごらん、この悪党、悪党め、アレキシスは……お前はその名を口

にする値打ちもないのだ……奴隷のように働かされて生きている。それでも私はあんたの

命を手中に収めながら、まだ生かしてやっているのじゃありませんか!」

「お前はいつも優しい女だったよ、アンナ」老人は煙草の煙を吐きながら言った。

 彼女は立ち上がったが、苦痛の叫びをあげてまた倒れた。

「おしまいまで話さねばなりません。私の刑期が終わったとき、私は日記と手紙を奪いか

えそうとしました。これをロシア政府に送りさえすれば、私の友だちを釈放させることが

できるのですから。私は夫がイギリスに来ていることを知っていました。何か月か探した

末、とうとう夫の居所をつきとめました。私はいまだに夫が日記を持っていることがわ

かっていたのです。


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06/18 09:16