「さっきのお話ですと、あなたの部屋は三階にあって、外部からは入れない。内部から上
がって行くときは、必ず見つけられるということでしたね。それでは、取った者は、家の
中にいる誰かということになります。では、誰に渡したのか。国際的なスパイや秘密探偵
の一人に渡したものと思われます。その人たちの名前は、かなり私には、覚えのあるもの
なのです。その中の頭 かしら と目 もく される人物が三人ございます。まずその人たちを見まわし
ていって、現に活躍しておるかどうかを、調査してみましょう。中に行方の知れないのが
いて……それも昨夜来、いなくなったというのでしたら、その手紙がどこへ行ったかとい
う、ある種の徴候はわかると思います」
「なぜ姿を消すのでしょう」とヨーロッパ大臣は尋ねた。「たぶん、ロンドンの大使館に
持ちこむのじゃないでしょうか」
「私はそうは思いません。スパイたちは、各々 おのおの 独立して仕事をやっているわけでして、
大使館とは、お互いに反目し合うことがしばしばあるのです」
総理は黙ってうなずいて、「ホームズさん、おっしゃる通りです。こんな価値のある獲
物でしたら、自分の手で、本部へ持ちこみたくなるものですよ。あなたのやり方は優秀な
ものと思いますよ。ところでホープ君、この災難のために、僕たちの他の任務をおろそか
にしてはいけないよ。何か新しい発展でもありましたら、その日のうちに、ホームズさん
に連絡しましょう。あなたのほうでも調査の結果をお知らせ下さい」
二人の政治家はお辞儀をして、重々しく帰っていった。この著名な客が帰った後、ホー
ムズは静かにパイプに火をつけて、しばらく腰を下ろして、深い瞑想 めいそう にふけった。私は
朝刊をひろげて前夜ロンドンで起こったセンセーショナルな犯罪記事に没頭した。そのと
き、ホームズは何か叫んだかと思うと、立ち上がり、マントルピースの上にパイプを置き
ながら、
「うん、これよりうまい方法は、ほかにない。事態は絶望的だが、でも全然駄目というこ
とでもない。今からでも、誰が取ったか、わかりさえすれば、まだ渡されずに、そいつの
手に残っている可能性は考えられる。結局、連中は金が問題なのだ。僕には背後にイギリ
スの大蔵省がついている。まだ取り引き先がないのなら僕が買おう。……そのため所得税
が増すことになろうともね。盗んだ奴は、先方へ売りつける前に、こちらがいくら値をつ
けるか見るために、じっと態度を留保していることは考えられることだ。そういう大胆な
ゲームをやれるものは、三人しかいない。オーバースタイン、ラ・ロティエール、エデュ
アルド・ルーカスだ。三人にそれぞれ会ってみよう」
「ゴードルフィン街の、エデュアルド・ルーカスかい?」私は朝刊を見ていった。
「そうさ」
「彼には会えないよ」
「なぜ」
「夕べ、自宅で殺されたんだ」
これまでの事件の過程で、しばしば私はびっくりさせられてばかりいたから、今度ホー
ムズを完全におどかしてやったのは、快心事であった。彼はびっくりして見つめていた
が、やがて私の手から新聞をひったくった。彼が椅子から立ち上がったとき、私が読みふ
けっていた記事は次の通りである。
ウェストミンスターの殺人
昨夜、不思議な殺人が、ゴードルフィン街十六番、十八世紀の古びて、閑静な家並の一
軒で行なわれた。そこは、テムズ河とウェストミンスター寺院の間にあって、その地点は
ほとんど議事堂の高い塔の影になっていた。小さいながら、選 え り抜きのこの館には、数年
前から、エデュアルド・ルーカス氏が住んでいた。彼は、魅力的な個性と、わが国屈指 くっし
のテノール歌手として有名なところから、社交界に広く知られていた。氏は独身で、三十
四歳、他にこの家には老家政婦のプリングル夫人と執事のミトンがいた。プリングル夫人
のほうは早々にさがって、最上階の部屋で寝た。執事のほうはハマースミスの友人宅を訪
れて、昨夜不在だった。
十時以後に、ルーカス氏はひとりで家にいたことになるが、その間なにが起こったか
は、未だ知られていない。だが、バレット巡査がゴードルフィン街を巡回中、十六番の戸
口がなかば開いてあったのを見た。彼はノックしたが返事はなかった。正面の間に明かり
が見えるので、巡査はそこの通路を通って、またノックしてみたが返答がない。そこでド
アを開けて、中に入った。部屋はひどく取り乱してあって、家具は一方の側にかためられ
ており、中央に椅子が一つひっくりかえっていた。この側に、椅子の一脚をつかんだま
ま、この家の不幸な主人が倒れていた。
彼は心臓を突き刺されており、即死だと考えられる。凶器は壁に飾ってあった東洋の戦
利品から引き抜いたインドの懐剣である。室内の貴重品が物色されていない点からみて、
物盗りが犯行の動機ではないと思われる。
エデュアルド・ルーカス氏は知名の士で人気のあることから、同氏が非業な、不可思議
な死をとげたことは、広い友人仲間の間で、傷ましい関心と深い同情を引き起こすことで
あろう。
「ねえ、ワトスン君、これをどう思う」ホームズは、しばらくたってからたずねた。
「おどろくべき暗合だね」
「暗合だって! この劇の役者だと思われる人物としてあげた三人の中の一人がここにい
て、その劇が演じられておるちょうどその時刻に、非業 ひごう の死に会ってるんだ。それを暗
合とはちょっと考えられないね。絶対にそうは考えられない。ワトスン君、このふたつの
事件は関連があるんだよ。関連がなくちゃならないんだ。われわれがその関連を発見しな
くてはならないんだ」