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第六卷 第五話 カツ弁 1_鴨川食堂(鸭川食堂)_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337
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  JR京都駅の八条口からタクシーに乗った菅すが埜の純じゅん子こは、行先を告げながら、手書きのメモをドライバーに見せた。
  「正面通の間之町通西……。南側の食堂。あそこに食堂があったかどうかは分かりまへんけど、とりあえず行ってみまひょ」
  「ありがとうございます」
  ホッとしたような顔つきで、純子は座席の背にもたれかかった。
  生まれ故郷の蟹かに江え町とは、距離でいえばさほど離れていないのだが、長い人生のなかで、京都にやってくる機会は決して多くはなかった。古希を越えて五年経たつこの歳としになるまで、指折り数えて片手にも及ばない。
  紺色のスーツに白いコートを羽織った純子は、ぼんやりと窓の外を見ていて、その横には大きな黒いトートバッグが置かれている。
  「これから食事でっか」
  ルームミラー越しにドライバーが訊きいた。
  「え、ええ」
  本来の目的は食事ではないのだが、話せば長くなりそうなので、適当な合あい槌づちを打っておいた。
  「どちらから来はったんです?」
  「九州です」
  ドライバーも真剣に訊たずねているふうではなく、愛想のつもりなのだろう。九州のどこなのか、までは訊ねてこない。
  「さっきのメモの住所やと、たぶんこの辺や思うんでっけど、食堂の看板なんかありまへんで」
  車を停とめて、ドライバーは通りの両側を見まわしている。
  乗車してから五分と経っていないのに、もう着いたようだ。これなら歩けたかもしれない。
  「じゃあここで降ります。看板のない食堂らしいので」「よろしいんか。まぁ、京都にはけったいな店が多いさかいなぁ」首をかしげながらドライバーは後部座席のドアを開けた。
  勘の良さだけは、子どものころから数少ない自慢のタネだ。看板も暖の簾れんもない食堂というのは、おそらくこの家だろうと当たりを付けた純子は、コートを脱いでから、トートバッグを地面に置いて、迷うことなく引き戸を引いた。
  「いらっしゃい」
  食堂らしい雑多な香りとともに耳に届いた、若い女性の出迎える声は純子を安あん堵どさせた。
  「お約束していた菅埜純子ですが」
  「お待ちしとりました。遠いとこからようこそ。京都は寒ぉすやろ。どうぞお掛けください」
  厨ちゅう房ぼうから出てきて、鴨川流がパイプ椅子を引いた。
  「ありがとうございます」
  畳んだコートとトートバッグを横の椅子に置いて、純子がゆっくりと腰かけた。
  「茜さんとは古いお付き合いなんですか?」
  鴨川こいしが純子に訊いた。
  「主人が勤めていた食品会社が『料理春秋』に広告を出しておりまして、編集長の大道寺茜さんが博多に来られたときは、たいてい食事をご一緒させていただいております。かれこれ二十年ほどのお付き合いになるでしょうか」「ご事情は茜から聞いとります。娘のこいしがお話をお伺いする前に、まずは簡単なお昼を召しあがってください」
  「それを愉たのしみにしてまいりました。どうぞよろしくお願いいたします」腰を浮かせて、純子が頭を下げた。
  「お酒はどないしましょ」
  「強いほうではないのですが、せっかくですから少しいただきます。飲みやすい京都の地酒はありますか?」
  「『蒼そう空くう』の〈かすみ酒〉ていうお酒はどうですやろ。にごり酒みたいな白いお酒ですねんけど、ほんのり甘あもぅて飲みやすい思います」「じゃあそれをお願いします」
  純子がそう答えると、こいしは厨房に入っていった。
  博多に比べて、京都は春が遅いのだろうか。暖房が入っているようなのに、足元から冷えてくる。京の底冷えという言葉を聞いていたが、暦が春になってもそれを実感するとは思ってもいなかった。だがそれは、やせて皮下脂肪が薄くなったせいかもしれない。そう思いなおした。
  太っていたころは、どうにかしてやせたいと思い、女友達と話していても、ダイエットのことはひんぱんに話題になったものだ。健康に歳を重ねれば女性は太って当たり前なのだと、今になって気付く。
  食を捜してくれる探偵がいて、京都の料理屋の奥にその事務所がある、と大道寺から聞いたときは、きっとたいそうな料亭か割かっ烹ぽう店だろうと思った。それが大衆食堂なのだと付け足されても、ここまでの寂れは予想していなかった。
  なぜならそこで出される料理が、割烹のおまかせ料理のような素晴らしさだと聞いたからだ。店のなかを見まわしてみて、逆立ちしてもそんな料理が出てきそうには思えない。
  きっと期待を裏切る料理が出てくるのだろう。もっとも、半世紀以上も前のあの日から、よくも悪くも期待が裏切られることには、すっかり慣れてしまっているのだが。
  とうの昔に更年期など済ませたはずなのに、ここ一年ほどの心の乱れかたは、そのときを越えて、ときに手を付けられなくなることがある。思っていたこととあまりに違うと、さっさと逃げ出したくなるのだ。
  「お待たせしましたな。とうに春が来とるのに、まだまださぶぉすさかい、あったかいもんを多めにご用意しました」
  そう言って、流が大きな折お敷しきを純子の前に置いた。
  そこに並んだ料理をひと目見ただけで、良いほうに裏切ってくれたのだと確信した。
  塗りの折敷にはとりどりの器がちりばめられ、洗練された料理がずらりと並んでいる。
  「簡単に料理の説明をさしてもらいます。左上の蓋もんには小こ蕪かぶの蟹餡あんかけが入ってます。刻み柚ゆ子ずを振って食べてください。その横の小皿に載ってるのは鹿肉の竜田揚げ、酢す橘だちを絞って召しあがってください。右端は小さいお好み焼きです。牡か蠣きと九条ネギを具にしてます。ソースのジュレが載ってますんで、溶けてきたら食べてください。その下のココットは堀川ごぼうとハマグリのグラタンふう。クリームの代わりに生湯葉を使つこうてます。赤い柚子胡こ椒しょうを付けてもろたら、味に変化がでます。その左のガラス皿に載ってるのは明石あかし鯛だいのお造り。胡ご麻まダレをまぶしてますさかい、そのまま召しあがってください。辛いのがお好きやったら、わしが作ったラー油をちょこっと掛けてもろたらええと思います。真ん中の段の左端は、鴨ロースと下しも仁に田たネギの重ね焼き、薄切りにした柚子を巻いて食べてください。その下の曲げわっぱは穴子の蒸し寿ず司しです。熱おすさかい火傷やけどせんように気ぃ付けてくださいや。下の段のまん中は牛ヒレの天ぷら。ニンニクがお嫌いやなかったら、揚げたニンニクの刻んだんを塩にまぶしながら食べてください。その右はスッポンのコンソメです。小さい揚げ餅を添えてますんで、一緒に召しあがってください。今日はご飯代わりに餡かけうどんを用意してますさかい、適当なとこでお声を掛けてください」料理の説明を終えて、流は厨房に戻っていった。
  長い人生のなかで、予想した八割は悪いほうに裏切られたが、二割はいいほうだった。
  今日はその二割のなかでもトップクラスの裏切られかただ。
  「ボトルごと置いときますよって、好きなだけ飲んでください」こいしが置いていった日本酒は中瓶だ。これほどの料理があって、若いころなら一本飲み尽くすのはそれほど難しいことではなかったが、今では半分も飲めないに違いない。しかしそれもうちのなかに限ってのこと。
  三年前に連れ合いを亡くしてから、極力飲酒は控えている。飲むほどに心が乱れてしまい、歳相応の振る舞いができなくなるからである。
  夫婦ともどもよく飲むほうで、ふたりで一升瓶を空けるほど飲むことも少なくなかった。それでも互いに乱れることなく、言い争うこともなければ、声を荒らげることすらなかった。ふたりでいるときは愉しい酒だったと思う。
  それが急に変わったのは、夫の学まなぶが亡くなってひとりになってからだ。
  苦い記憶を吞のみこんでから、慎重に杯さかずきに手を伸ばし、少しだけ酒をなめたあと、純子が最初に箸を付けたのは、鹿肉の竜田揚げだった。
  子どものころから、揚げ物は一番の好物であり、最高のご馳ち走そうでもあった。火傷や手間がかかることを避けようとしてか、今は家庭で揚げ物をする機会が少ないと聞くが、むかしはどこの家庭でも、家族揃そろっての夕ゆう餉げに揚げたて熱々の揚げ物は定番だったように思う。
  もっともそれは、父が無類の揚げ物好きだったことと、比較的裕福な家だったことによるのかもしれない。
  酢橘を少し絞って口に運ぶと、鹿肉のクセなどまるで感じることもなく、嚙かむほどに肉の旨うまみが舌に染みこんでいく。もしもこれが冷めていたら、どんな味になっていたのだろう。
  揚げ物は熱々が命だと思っていたのに、冷めても美お味いしいどころか、冷たくなった揚げ物に、激しく心を動かされた、あのときの記憶は消えることはない。揚げ物を食べるたびにあの瞬間がよみがえってくる。
  知らず杯に手が伸びていることに気付き、純子は思わず手を引っ込めた。
  酒を味わうならいい。だが気を紛らすために飲んではいけない。自分にそう言い聞かせてから、ゆっくりと杯をかたむけた。
  揚げ物の口直しには造りがいいだろう。
  胡麻ダレをまぶした鯛の造りにラー油を一滴たらして食べると、中華ふうの刺身になるかと思いきや、純然たる日本料理のあと口しか残らないのが、なんとも不思議だ。
  刺身のあとは、自然とまた揚げ物に箸が伸びる。
  嫌いどころか、ニンニクは好物に入るので、揚げたニンニクをたっぷり掛けて、牛ヒレの天ぷらを口に入れた。
  よほど手際がいいのだろう。これだけの品数の料理を一度に出しているのに、この天ぷらも揚げたて熱々だ。それでいてなかはレアに近い状態だから、すんなりと歯が入り、肉汁が舌の上に広がっていく。
  「どないです。お口に合おうてますかいな。茜の話やと食べもんにはお詳しいかたやと」「とんでもありません。主人が食品卸の会社におりましたものですから、仕事の関係であちこち食べ歩いてはおりますが、ただ食い意地が張っているだけで、経験も知識も乏しいものです。それでも、こちらのお料理がどれほど素晴らしいかは分かりますけど」「お世辞でもそない言うてもろたら気が楽になります。どうぞゆっくり召しあがってください」
  料理も酒もまだ多く残っているのをたしかめるように、視線を走らせてから、流が厨房に戻っていった。
  流に向けた言葉はお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちを伝えただけだ。学の仕事柄、ほかの夫婦より外食の機会が多かったのはたしかだが、それはいわゆる食通の人たちが通うような店ではなく、古くからの付き合いがある居酒屋だったり、取引上の付き合いがあるレストランがほとんどだった。
  格別に美味しい店でなくても、ゆっくり酒を飲みながら食事のできる店を好んだ学は、食事だけでなく、何ごとにつけても自然の流れに逆らわない男だった。役職を欲しがるわけでもなく、そこそこの収入があればそれで充分だといつも言っていた。
  ひとりで食事をすることが滅多になかったせいだろうか、今日もこの場に学がいるような気がしてしまう。にこにこ笑いながら杯をかたむける学が目に浮かぶ。
  クルトンのように揚げ餅を入れて、スッポンのコンソメを飲み、曲げわっぱに入った蒸し寿司を食べ、杯の酒を飲みほした。
  「ぼちぼち〆しめをお持ちしまひょか」
  絶妙のタイミングで流が出てきた。このままだときっと飲み過ぎてしまう。
  「お願いします。お嬢さんもお待ちかねでしょうから」「量はどないしまひょ。ひと玉でも半玉でも」「餡かけおうどんでしたね。うどん好きなものですから、ひと玉いただきます」「うどん発祥の地の博多にお住まいやさかい、いつも旨いうどんを食べてはると思いますけど、京都のうどんもたまにはよろしいやろ。すぐにお持ちしますわ。生姜しょうがは苦手やおへんか?」
  「子どものころからの生姜好きです」
  言い終わると同時に、流が純子にくるりと背中を向けた。
  流が言ったとおり、博多はうどん蕎そ麦ば発祥の地と言われている。六十年近く前に博多に来てそのことを初めて知り、意外に思ったことを覚えている。名古屋の近くで生まれ育った純子は、讃岐さぬきか大阪がうどん発祥の地だろうと思っていた。名古屋名物のきしめんと違って、まるでコシのないうどんに拍子抜けしたものだ。京都のうどんはどんな味なのだろう。
  思いを巡らす間もなく、銀盆に載せて、流がうどんを運んできた。
  「具のないうどんを京都では素すうどんて言いますねん。さしずめこれは餡かけ素うどんですわ」
  もうもうと湯気をあげるうどんからは、芳かぐわしい出だ汁しの香りが漂ってくる。
  「餡かけなのにおつゆが澄んでいますね。真っ白いおうどんがなんとも美味しそうだこと」
  「火傷せんように、ゆっくりと召しあがってください」銀盆を小脇にはさんで、流がまた厨房に戻っていった。
  湯気だけでなく、餡かけ汁つゆの表面がときおり膨らんで、あぶくが立っている。いきなり口に運んだりすれば間違いなく火傷しそうだ。天盛りにされたおろし生姜までもが、ぷくりと膨らむあぶくに揺れている。
  箸に三本ほどのうどんを絡め、しばらく息をふーふーと吹きかけてからそっと口に入れる。それでもあまりの熱さに思わず吐き出しそうになってしまう。それぐらい熱いのに、ちゃんと出汁の味が分かるのが不思議だ。
  博多のうどんに負けず劣らずのやわらかい麵は、嚙みきるまでもなく、出汁の利いた餡と一緒に、口のなかではらりと崩れる。
  ただ美味しいだけではない。ざわついた心を静かに鎮めるほど味わいが深い。ひょっとすると心のざわめきを治めようとして、流はこの餡かけうどんを〆に出してきたのかもしれない。そう思えるほど、純子は近ごろになく心を落ち着かせている。
  食事の量はめっきり減ってしまったはずなのに、〆のうどんまで完食したことに、純子は驚きを通り越して、半ばあきれている。
  「そろそろよろしいかいな」
  流の声に我に返った純子は、箸を置くなり、いきなりすっくと立ちあがった。
  「すみません。すっかりお食事に夢中になってしまって」「ええんでっせ。ゆっくり召しあがってもらうために作ってるんですさかい」突然立ちあがった純子の勢いに気け圧おされてか、流は思わず後ずさりした。
  「ご案内いただけますか」
  ハンカチで口元を拭いながら、純子は流のすぐ傍そばに歩みよった。
  「奥のほうになってますんやが、そない急せいてもらいでもええんでっせ」苦笑いして流が先導し、純子はすぐそのあとを追った。
  「これはぜんぶ鴨川さんがお作りになった料理でしょ。和洋中なんでもおできになるんですね」
  廊下の両側の壁に貼られた写真に、純子が目を留めて歩みをゆるめた。
  「なんでもできる、っちゅうのは裏を返したら、取り立てて得意なもんがない、っちゅうことにもなりますわ。いわゆる器用貧乏というやつですな」立ちどまって流が振り向いた。
  「ご謙遜をおっしゃっても、見れば分かりますよ。どれもとても美味しそう。先ほどいただいた料理もどれも素晴らしかったです」
  「そない言うてもろたら、なんやこそばゆい気ぃもしまっけど、素直に喜んどきます」「大道寺さんからお聞きしましたけど、奥さまを病気で亡くされたんですってね。お寂しいことでしょう」
  ツーショット写真の前で純子が足を止めた。
  「おかげさんで忙しいさせてもろてますさかい、寂しがってるヒマがおへんのですわ」半笑いして、流が廊下の奥のドアをノックした。
  「どうぞお入りください」
  ドアを内側から開けて、こいしが純子に笑みを向けた。
  「あとはこいしにまかせますんで」
  流は廊下を戻っていった。
  部屋に入って、純子はこいしと向かい合って、ロングソファのまん中に腰かけた。
  「菅埜純子さんでしたね。簡単でええので記入してもらえますか」こいしがローテーブルにバインダーを置いた。
  揃えた膝の上にバインダーを置いて、純子はすらすらとペンを走らせてからこいしに返した。
  「お生まれは愛知県で、今のお住まいは博多。ご主人を亡くさはってからはひとり住まい。息子さんも娘さんも家庭を持ってはって、別に住んではる。特にお仕事はしてはらへん、と。で、どんな食を捜してはるんです?」申込書に目を通してから、顔をあげてこいしが純子と向き合った。
  「作ってくれた人はカツ弁と呼んでました。アルマイトのお弁当箱のなかに、白いご飯が詰まっていて、その上にキャベツの千切りを敷いて、上に揚げ物が載ったお弁当です」「カツ弁。初めて聞く言葉やなぁ。揚げもんの中身は何です?」ローテーブルにノートを広げて、こいしがペンをかまえた。
  「それがよく分からないんですよ。気が動転していたせいもあって、中身をちゃんとたしかめずに食べてしまったので」
  「コロモはどないでした? 天ぷら系か唐揚げ系か、それともフライか」こいしがイラストを描きはじめた。
  「カツ弁とおっしゃっていたし、フライものだったのは間違いありません」こいしの手元に視線を落としながら、純子がきっぱりと答えた。
  「お味はどないでした?」
  「たぶんソース味だったと思います。キャベツやご飯にも味が染みていましたが、ご飯が茶色く染まってましたから、カツにソースがまぶしてあったんじゃないでしょうか」「ソースカツ丼みたいな感じかなぁ」
  タブレットを取りだしたこいしが、ディスプレイを操作して、料理の写真を映しだした。
  「そうねぇ、こんな感じだったような気もするけど、カツがもっと小さかったような記憶があるんです。ひと口の大きさのカツが、キャベツの上にびっしり載っていたような」記憶を辿たどるように、純子が左右に首をひねった。
  「カツ弁ていうくらいやさかい、中身はお肉なんやろなぁ。豚か鶏とりか牛か。そうそう、そのカツ弁はどこで食べはったんですか」「食べたのは列車のなかですが、それをいただいたのは愛知県の蟹江町。わたしのふるさとです」
  「話がややこしいなってきたなぁ。そや。もうひとつだいじなこと訊くのん忘れてた。それっていつの話なんです?」
  「十八歳のころだから、五十七年ほど前になるかしら」「えらい昔の話なんや。五十七年前ていうたら、一九六二年。昭和三十七年か。東京ァ£ンピックの二年前のことですねんね」
  こいしはノートに数字を書き並べて、検索したタブレットの画面と見比べた。
  「そうなりますね」
  純子が遠くに目を遊ばせた。
  「順を追うて話してもらわんとあきませんね」ノートのページを繰って、こいしが手のひらで綴とじ目を二度ほど押さえた。
  「何からお話をすればいいか。長くなってもかまいませんかしら」「お話を聞くのがうちの仕事ですさかい、遠慮のう、なんぼでもしゃべってください」立ちあがって、こいしが茶を淹いれる。
  「ではお言葉に甘えて、長くなると思いますが、昔ばなしをさせていただきます」背筋を伸ばした純子が、二度、三度と咳せきばらいをして、昔がたりを始めた。
  「わたしが生まれ育った蟹江の街は、名古屋からもそう遠くないのですが、取り立てて名所があるわけでもなく、目立った名産品もない、どこの地方にもあるようなふつうの街なんです。そこでうちの家は味み醂りんを作って生計を立てていました。それほど大きくはありませんが、今でも盛もり山やま本家という屋号で細々と商いを続けております」「ということは、純子さんの旧姓は盛山ということですね」こいしの問いかけに純子は黙ってうなずいて続ける。
  「幼なじみというか、中学、高校とずっと一緒だった男性と、お付き合いらしきことになったのは高校二年生の春のことでした。半世紀以上も前のことですから、お付き合いと言っても、今の時代と比べれば幼いもので、手をつないで歩くのも恥ずかしかったくらいですから、同性のお友達とあまり変わりませんでした。それでもいつも一緒にいるものですから、周りから冷やかされたりして。まんざら悪い気もしませんでしたけどね」純子が湯ゆ吞のみを取って口を湿らせた。
  「なんやうらやましいような気もしますわ。初々しいていうたら失礼かもしれませんけど」
  急須を手にしたこいしが、純子の湯吞に茶を注つぎ足した。
  「関西では〈おぼこい〉って言うんでしたね。幼子のままごとのようなお付き合いを続けていたのですが、進路を決めなければならない時期になりました。相手の男性は大学に進むことを決めていましたから、どこの大学を受けるか、という話ばかりになりました。相手の男性は存命ですので、仮にGくんとしておきますと、Gくんは将来の日本を動かす仕事をしたいと常に言っていて、日本で一番有名な大学を目指していました」純子の鼻が少しばかり高くなった。
  「目指してもなかなか入れる大学と違いますよね。それは今も昔もあんまり変わらへんでしょ」
  「もちろんそうなんですけど、Gくんはものすごく努力する秀才タイプなんです。高校のときの成績はいつも県内トップクラスでしたし、現役で合格する可能性が高いと言われていました。わたしもそれを自分のことのように誇らしく思っていましたし、両親はもちろん、家族ぐるみでGくんを応援していました」「その時代には生まれてませんでしたけど、なんとのう、その空気は分かります。けど、肝心のGくんのおうちはどう思うてはったんです?」「Gくんは早くにお父さんを亡くしていて、お母さんが女手ひとつで苦労に苦労を重ねて育て上げた男の子なんです。だから当然のことですが、お母さんの期待を一身に背負ってがんばっていました。必ず東京に出て立身出世物語を実現してくれるものと信じてられたと思います」
  「今の時代でもそういうことはあるんやろけど、六十年近く前やったら、親はみんなそんな思いで子どもを育ててたんですやろね」
  「こういう言い方は失礼だと思いますけど、Gくんのおうちはとても貧しかったし、息子に掛ける期待は人一倍大きかったのでしょう。そのことがわたしとGくんの運命を分けることになるとは、思ってもみませんでした」
  純子が深いため息をついた。
  「うちにはまだぜんぜん分からへんのですけど、そのことがカツ弁につながるんですね」「ええ。思いも掛けない事態になってしまって、わたしはひとり列車のなかで、カツ弁を食べることになってしまったんです」
  「いったい何が起こったんです?」
  身を乗りだして、こいしが訊いた。
  よみがえった記憶に息を荒くしていた純子は、肩を上げ下げして呼吸を整えている。その様子を横目にしながら、こいしはポットの湯を急須に注いだ。
  「お話ししたようにGくんは期待の星でしたし、彼自身も上昇志向というか、理想主義に凝りかたまっているところがありました。政治家か官僚になって日本を動かしたい。日本中の人をしあわせにしたい。自分の母のような苦労をしなくても誰もが豊かに暮らせる世の中を、自分の手で作りたい。中学に入ったときから、ずっとそんな理想を掲げていました。中学から高校まで生徒会長を続けていましたし、もちろん学校の成績も断トツで一番。模試でも県内トップクラスを維持していました。わたしはそんなGくんを頼もしく思う反面、もっと肩の力を抜いて気楽に生きればいいのに、と思っていて、いつもGくんにもそう話していました。一番でなくてもいいし、大きなしあわせでなくて、小さなしあわせを続けるほうがいいんじゃないかって」
  一気に語って喉が渇いたのか、純子はぬるい茶を一気に飲みほした。
  「分かる気がするなぁ。男の人はそう思わはるかもしれんけど、うちらみたいな女子は、ちいちゃいしあわせが続くほうがよっぽど嬉うれしい」こいしは純子の湯吞にゆっくりと茶を注いだ。
  「わたしの言うことなんか歯牙にも掛けなかったGくんでしたが、高校三年の夏休みのころから少しずつ考え方が変わってきたんです。わたしの考えに近づいてきたっていう感じでした。東京に行くことがすべてじゃないし、もっと言えば大学に行かなくてもいい。そんなことまで言いだすようになって」
  湯吞を両手で包みこんで、純子は両肩をすとんと落とした。
  「若いときて、ちょっとした切っ掛けでころっと変わることありますもんね。まだ考えが固まってへんのやと思いますけど、うちも友達に影響されることはようありました。それが恋人やったらよけい影響受けますよね」
  昔を思いだしているのか、こいしはノートに落書きをしている。
  「わたしの考えがGくんに影響を与えたのは間違いありませんでした。もうそのころにはお互いに恋愛感情も芽生えていましたし。わたしは東京に行く気は毛頭ありませんでしたから、Gくんはわたしと離れることを寂しく思うようになっていたんだと思います」「自然な流れやと思うけど、Gくんのお母さんは複雑な気持ちにならはったでしょうね」「複雑なんてものじゃなく、ひどく落胆されたんです。朝早くから毎日懸命に働き続けてきたのは、ひとえにひとり息子の立身出世を夢見てのことだったでしょうから、当然のことだろうと思います。母親のことをだいじにしてきたGくんも、反抗期にも入っていたでしょうし、恋愛感情が優先してしまったからかもしれません。お母さんが必死で説得しても考えを変えることはありませんでした。Gくんは奨学金がもらえる地元の大学に進む決意をしました」
  「そうなると複雑な気持ちになるのは純子さんのほうやね」「おっしゃるとおりです。まさかそこまで考えを変えるとは思ってませんでしたし、東京行きを止めようとも思ってませんでしたから、お母さんの気持ちも代弁して説得したのですが、Gくんも一いち途ずな性格ですから翻意することはありませんでした」「それでどうなったんですか?」
  こいしが身を乗りだした。
  「息子と別れてくれないか。そうお母さんに頼まれました」深いため息をついて、純子が力なくソファにもたれかかった。
  「辛つらい話やなぁ。向こうのお母さんの気持ちも分からんことないけど、純子さんもGくんもそれでしあわせになれるかどうか」
  こいしはノートにクエスチョンマークを書き連ねた。
  「この歳になるまで、あれほど悩んだことはありませんでした。食事も喉を通らないし、何をする気にもなれない。ずっと部屋に閉じこもっていましたから、自殺でもするんじゃないかと思ったらしく、両親がしょっちゅう覗のぞきに来ていました」「そら親御さんも心配しはるやろねぇ。年ごろの娘がそんな状況に置かれたら親もたまりませんわ。うちまで息苦しいなってきた。コーヒーでも淹れますね。苦手なことないですか」
  「いただきます。お水ももらえますか?」
  純子が軽く咳ばらいをした。
  水を出したあと、湯を沸かし、コーヒーをセットしてドリップの支度をする。こいしがカップをふたつ並べたのを合図としたかのように、純子がふたたび口を開いた。
  「Gのことが本当に好きなら、Gの将来のことを思ってくれるのなら、どうか別れて欲しい。お母さんは土下座をしてわたしにそう言ったんです。これほど辛いことはありませんでした。Gくんのお母さんはとてもいい人で、将来お姑しゅうとめさんになっても、この人となら仲良く暮らしてゆける。おませだったのか、わたしはそんなことまで考えていたくらいです。だから断ることができずにいました。そしてもうひとつ。どうやって別れるのか。そこも大きな悩みどころでした」
  淡々と語る純子に、こいしが強い口調で言葉をはさんだ。
  「嫌いになったわけでもないのに、なんで別れんとあかんのですか。Gくんの気持ちが変わらへんのやったら、ふたりでお母さんを説得したらええやないですか。それでもあかんかったら駆け落ちするいう手もあるんやし」
  ふたつのコーヒーカップを、こいしがローテーブルに置いて、ソファに浅く腰かけた。
  「もちろんそうも思いましたよ。泣いてどうなるわけでもないけど、泣くよりほかにすることがない。泣いているあいだだけは悩まなくてもいい。そんな時間でした。でも、結論を出さなきゃいけないときは必ずくるんです。だったら早く答えを出して楽になりたい。
  そうも思うようになりました」
  コーヒーカップを手にしたまま、純子は口も付けずに壁の一点を見つめている。
  「一生のことなんやけど、早はよう答えを出して楽になりたいいう気持ちはほんまによう分かります。追い詰められたら誰でもそうなりますよね」こいしの言葉にうなずいてから、純子はひと口も飲まずに、カップをソーサーに置いた。
  「ほかに好きな人ができたから、と言ってGくんの前から去ってゆくしかない。わたしが出した結論です。Gくんと同じ街に住んで、同じ空気を吸うなんて、息苦しい思いはしたくない。蟹江の街を出よう。そう思ったんです」「よう思いきらはりましたね。うちには絶対真ま似ねできひんわ」「Gくんが好きだし、Gくんの将来を考えればそれが一番いい。そう思いました。幸いなことに、子どものころからとても親しくしている叔父が博多にいて、うちの親が事情を話すと、うちに来ればいい、と言ってくれたので、卒業を待たずに転校することにしました」
  「純子さんはほんまに強い人なんや。ほんで母性も持ってはるんやろなぁ。そでなかったらそんな結論出せるはずないわ」
  こいしが何度も首を振った。
  「それほど大きな街ではありませんから、ヘンな噂うわさが立ちはじめたら、あっという間に広まってしまいます。わたしが言いだしたら引かない性格だと分かっていましたから、家族も渋々ですが承諾してくれたので、Gくんのお母さんに決意を伝えて、その三日後には夜行列車で博多へ行くことにしました」「夜行列車。そうか、まだ新幹線とかなかったんやね」こいしがカップのコーヒーをひと口飲んだ。
  「夜中の十一時過ぎに名古屋駅を発車する〈あさかぜ〉という夜行列車でしたから、家を出たのが夜の九時ごろだったと思います。Gくんの家に寄って、手紙をお母さんに渡したら、お母さんは、すまないね、本当にすまないね、許してね、わたしを一生恨んでいいから、そう言って泣き崩れました。ひょっとしてGくんが出てくるんじゃないかと思ったのですが、ちょうど塾に行っていて留守でした。そしてお母さんが、持たせてくれたのが、カツ弁だったのです」
  「そうやったんですか。強烈な思い出のお弁当なんですね」「Gの大好物で、明日食べさせようと思っていたけど、よかったら食べてください。そう言って風呂敷包みをわたしてくれたんです」
  「それがカツ弁やったんや。Gくんが食べるはずやったんですね。どんな気持ちで食べはったんですか」
  「二等座席に座ってね、頭のなかはからっぽだけど、胸はいっぱいで、お腹なかのことなんかまるで考えなかった。ときどきウトウトするんだけど、眠るまでにはいたらない。もう少しで九州だという辺りでカツ弁のことを思いだしたの。朝ご飯代わりに食べはじめたんだけど、いろんな思いがいっぺんに込みあげてきて、涙が止まらなくなったんです。最初はしくしく泣いてたんだけど、そのうちおんおん声をあげて泣きはじめてしまった。そしたら背中合わせに座っていたおばあさんが慰めてくれてね、抱きしめてくださった」純子の頰をひと筋の涙が伝い、こいしは潤んだ瞳を小指で拭った。
  「そのカツ弁を、今になって捜しだそうと思わはったんはなんでです?」「夫の学が生きているときは、すっかりカツ弁のことなど忘れていました。潤沢とはいかないまでも、お金に不自由することもなく、豊かに暮らしていましたし、子どもにも恵まれて順調に育ちました。なんの不満もなく生きてきたのが、三年前に夫の学を亡くしたときから、急に寂しいというか、虚むなしい思いをするようになりました。生きていても、ちっとも愉しくないし、生き甲が斐いを感じることもまるでない。そんな毎日を送っていて、ふと思いだしたんです。あの日のこと。Gくんのこと。そしてカツ弁のこと。もしもあのとき、身を引くことなく、強引にGくんと一緒になっていたら、どんな人生になっただろう。そう思うと無性にあのカツ弁が食べたくなって。中身はどんなだったか、どんな思いでお母さんはわたしにあのカツ弁をわたしてくれたのか。今さらそれを知ったからといって、どうなるものでもないことは、よくよく分かっているのですが、最近ほら、終活って言葉をよく耳にしますでしょ。あれなんです。わたしの終活はカツ弁なの。ってダジャレじゃないですよ」
  純子が泣き笑いした。
  「よう分かりました。お父ちゃんにがんばって捜してもらいます。それで、もうちょっとヒントが欲しいんですけど、お訊ねしてもいいですか?」「はい。お答えできることでしたら」
  「Gくんは存命て言うてはりましたけど、お母さんは?」こいしの問いに純子は即座に首を横に振った。
  「分かりません」
  「Gくんの実家はまだ蟹江町にあるんでしょ」純子がまた首を横に振った。
  「ありません。Gくんと一緒にお母さんも上京されたようです」「転居先不明ていうことですか」
  落胆したようにこいしが肩を落とした。
  「Gくんはあのとき、わたしが心変わりしたことをきっと恨んでいると思いますから、まったく接触していません。わたしは高校の同窓会も一度も出席していませんし、今でもあの街では、純子は冷酷で非情な女だと思われているでしょう」「それを甘んじて受け入れはるほど、Gくんへの愛情が深かったていうことなんですね」「さあ、どうなのでしょう。それよりもGくんのお母さんを悲しませたくなかったという気持ちが強かったのだと思います」
  純子は吹っ切れたような表情を見せた。
  「もうちょっとだけ、カツ弁のことを訊かせてください。ご飯があってキャベツが敷いてあって、その上にソースの染みたフライが載ってた。ほかには何もありませんでした?
  なんでもええので、もうちょっと思いだしてもらえませんやろか」「とにかく、ふつうの精神状態じゃなかったですから、食べるというより、口に運ぶだけで精いっぱいで。どんな味だったかとか、まるで覚えていないんです。ひとつだけたしかなのは、冷めた揚げ物がなぜこんなに美味しいのだろうと思ったことです。ぜんぜん油っぽくないし、コロモもべちゃっとしてない。すごく不思議でした。そうだ。キャベツの横にアルミホイルに包まれて佃つく煮だにが付いていました。おしんこの代わりだったのでしょうね」
  「何の佃煮です?」
  「さあ、何だったのでしょう。お肉でなかったことだけはたしかなのですが」「分かりました。お父ちゃんやったら、これで捜してきはるでしょう」こいしがノートを閉じて、ペンを置いた。
  「よろしくお願いします」
  純子が頭を下げた。
  「あんじょうお聞きしたんか」
  食堂に戻ると、流が待ちかまえていた。
  「お嬢さんにはお手を煩わせました。わたしの記憶があいまいなものですから」「なんちゅうても六十年近くも前のことやさかいなぁ」こいしが予防線を張った。
  「たよんないことですんまへんなぁ。せいだい気張って捜しますさかいに」こいしに向けて眉をひそめてから、流が純子に笑みを向けた。
  「ひとつお願いがあるのですが」
  そう言って純子がトートバッグから紫色の風呂敷包みを取りだした。
  「これは?」
  受けとって流が訊いた。
  「もしも捜しだしていただけたら、このお弁当箱に詰めていただきたいんです」純子が答えた。
  「六十年近くも前のお弁当箱をちゃんと残してはったんですね」こいしが目を見開いた。
  「どうぞよろしくお願いいたします。今日のお勘定を」純子がトートバッグから財布を取りだした。
  「探偵料と一緒にいただきますんで、今日は大丈夫です」こいしが答えた。
  正面通を西に向かって歩きはじめた純子に一礼して、流とこいしが店に戻った。
  「かなりの難問みたいやな」
  流が先に口を開いた。
  「茜さんから聞いてたと思うけど、今回は辿り着けへんのと違うかなぁ」「そんな弱気なことでどないするねん。頼まれたことは、きちんと、精いっぱいやらな」「それはそうやけど」
  こいしは不安そうな顔つきで、流にノートを渡した。
 

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11/28 19:45