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第二卷 第一話  海苔弁 2_鴨川食堂(鸭川食堂)_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3338
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  近体大の強化合宿は伏見区の深草校舎で行われている。合宿に入って数日後、ようやく取れた休日に、恭介は心を弾ませながら京阪電車に乗り込んだ。
  鳥居と同じ朱に彩られた伏見稲荷駅を過ぎ、ふたつほど駅を通り越すと電車は地下に潜る。やがて七条駅に着くと、恭介は小さなショルダーバッグを肩に掛け、ホームに降り立った。
  方向感覚の鈍い恭介は、二度目にもかかわらず道に迷った。しわくちゃになった地図を手に、記憶を辿りながらゆっくりと歩を進める。ようやく見覚えのある建屋が見えてきた。
  「いらっしゃい」
  こいしが笑顔で迎えた。
  「こんにちは」
  恭介は不安げな表情で流の姿を目で探した。
  「大丈夫。お父ちゃん、捜して来はったよ。けど、なんかしらん、まだやってはるから、もうちょっと待っとってね」
  こいしは冷茶の入ったポットとグラスをテーブルに置いた。
  「ゆうべはよく眠れませんでした」
  恭介はあくびを噛み殺した。
  「意外と気にしいなんやね。そんなんでァ£ンピック出られるんかいな」冷茶を注ぎながら、こいしが笑みを浮かべた。
  「それとこれは別ですよ」
  恭介がむくれ顔をした。
  「お待たせして、すんまへんな。ちょっとした遊びを思い付いたもんやさかいに」流が厨房から顔を覗かせた。
  「そうなんよ。とっくに用意出来てたはずやのに、《そや、ええこと思い付いた》言うて、なんやゴソゴソしてはるんよ」
  こいしの言葉を聞いて、恭介は中腰になって厨房を覗き込んだ。
  「大丈夫ですかね」
  「余裕なんやと思うけど」
  首をかしげて、こいしが口角を歪ゆがめた。
  「さあ、用意出来ましたで」
  流が角盆にふたつの弁当箱を載せて運んで来た。
  「二人前ですか」
  朝食の丼飯を三度もお代わりした恭介は、わずかに苦笑いした。
  「全部食べてもらわんでもよろしい。ふたつの味を比べて欲しいんですわ」流がテーブルに蓋付きの弁当箱をふたつ並べた。
  「食べ比べ、ということは味が違うんですね」恭介がアルマイトの弁当箱を見比べた。
  「ご自分の舌でたしかめてください」
  一礼して、流は厨房に戻って行った。
  「たっぷり入れといたけど、足らんかったら言うてね」冷茶ポットとグラスを揃そろえて、こいしが流の後を追った。
  ひとり残された恭介は背筋を伸ばして、両手で同時に蓋を開けた。
  ふたつとも同じ海苔弁だ。一面に海苔が敷き詰めてあり、縦横に切れ目が入っている。
  父親が作ってくれていたのもそんな風だった、と今になって思い出した。
  横向けに弁当を置くと、横に二本、縦に三本、必ず同じように切れ目が入っていて、それに沿って箸を入れると、十二の区画に分かれる。ひとつの海苔弁を十二回に分けて口に運んでいた、当時の記憶がまざまざとよみがえって来る。
  恭介はまず左側の弁当を手に取った。弁当箱を横長に持ち、左下の区画を底まで掘り下げ、一気に口に運ぶ。底から、ご飯、ァ~カ、海苔と重なり、それが三層になっているのも父が作っていたのと同じだ。
  「ウマイ」
  思わず口をついて出た。目を閉じて噛み締める。隣の区画を同じようにして食べる。掛け値なしに美味しい。寮の食堂で作ってもらったのとは、比べものにならない。
  となれば右側の弁当は失敗作なのだろうか。それともこれを超える旨さなのか。
  「ひょっとすると……」
  右側の弁当に箸を付けた。左側と同じように、左下の隅を掘り下げ、口に運んで噛み締めた。一区画、二区画と続けて、三区画目を口に入れた時だった。
  二度、三度、四度。噛み締めるうち、恭介の目尻から涙が溢あふれ出る。手の甲でそれを拭って、次の区画を掘り下げて口に運ぶ。同じように噛み締める。こらえきれずに恭介は小さく嗚お咽えつを漏らし始めた。
  懐かしいという思いではない。ましてや哀しいわけでもなく、なぜ涙が溢れるのか、自分でも分からずにいる。
  明らかに味が違う。どう違うかは分からないが、父が毎日作ってくれていた海苔弁は間違いなく右の方だ。
  「合うてましたかいな」
  厨房から出て来て、流が恭介の後ろに立った。
  「こんなんやったと思います」
  手で何度も目尻を拭って、恭介がうなずいた。
  「よろしおした」
  流が冷茶をグラスに注いだ。
  「左の方も美味しかったんですが、この右側のお弁当は……」また恭介の瞳が潤んだ。
  「来る日も来る日も、お父さんがあなたのために作ってはった海苔弁は、右の方の弁当です」
  流がやさしい眼まな差ざしを向けた。
  「教えてください。左と右は僕には見た目は同じなのに、食べると全然違う」恭介が居住まいを正した。
  「秘密というより、お父さんのあなたへの思いやと思います」流がファイルケースをテーブルに置いた。
  「僕への思い……」
  恭介はファイルケースに目を遣やった。
  「左の方でも充分美味しいですやろ。けどお父さんは更に工夫をなさった。美味しいだけやのうて、滋養にもなって、その上腐りにくいように」「あのァ′ジがそんなことを」
  「お父さんはホンマに料理が苦手やったんですな。イチかバチかで海苔弁を作ってみたら、あなたがえらい喜んでくれた。その後どないしたらええか分からんと、行きつけの食堂で相談なさったんやそうです。あなたのために日本一の海苔弁を作りたいと言うて」「行きつけの食堂?」
  「タクシーの運転手さんは、たいてい行きつけの店を決めてはります。美味しいて、値ごろで、駐車スペースが確保してある店。お父さんが勤めてはった『豊ぶん後ご観光交通』の運転手さんは大抵『あらみや食堂』に行ってはったんやそうです。県庁の裏手にある、小さな食堂に、お父さんの北野恭きょ太うたさんは毎日お昼を食べに行ってはりました。
  常連やったさかいに、食堂のご主人、新あら宮みやさんがよう覚えてはりました」ファイルケースから食堂の写真を取り出して、流がテーブルに置いた。
  「この店に……」
  恭介が写真に目を落とした。
  「さすが大分ですな。こんな大衆食堂やのに抜群に魚がウマイ。お父さんも好物やったという鯵あじフライ定食を食べましたんやが、京都辺りで食べるのとは比べもんになりまへんわ」
  流がスマートフォンに指を滑らせて、料理写真を見せた。
  「関係ないことは置いといて、早ぅ海苔弁の話を」こいしがせっついた。
  「そない慌てんでもええがな。新宮さんはそれくらい魚料理が上手やという前フリや。家は代々漁師で、いっときは寿す司し屋やもやってはったんやそうな。その主人の発案やさかい、この海苔弁はウマイに決まっとる」
  恭介の右手にある弁当を流が手に取って続ける。
  「たしかに見た目は変わらん。上から見ても、こないして掘り起こしても」流は恭介が食べはじめた区画と対角にある、右上の一区画を箸で掘り起こした。
  恭介とこいしは、その断面をまじまじと見ている。
  「ところが違うんやな、これが」
  流が弁当箱の蓋に海苔弁の一区画をそっと置いた。
  「ちゃんと三層になってるし、同じやと思うけどな」真横から眺めてこいしが言うと、恭介は大きくうなずいた。
  「秘密はこの真ん中の層にある。ここをよう見てみ。他のァ~カと違うやろ」流が二層目の海苔をはがして見せた。
  「これはァ~カと違う。魚の身や」
  間近で見て、こいしが驚きの声を上げたが、恭介には見分けが付かないと見えて、キョトンとしている。厨房に入った流は、トロ箱に一匹の魚を入れて恭介とこいしに見せた。
  「これが太刀魚という魚や。刀に似てるさかいな。この太刀魚を焼いて、その身を細こぅにほぐしたもんが入っとる。味付けは醤油とカボス。太刀魚もカボスも大分の特産やし、カボスには防腐作用もあるんやそうな。ァ~カだけやと味も単調になるけど、太刀魚の旨みが加わることで味に深みが出る」
  「これが太刀魚ですか。この身を……」
  恭介が太刀魚を見つめる。
  「海苔弁を一気に底まで箸を入れて、友達に見えんように急いで食べてはったんで、気付かんかったんでしょうな」
  「こうして中身を見たことなんかなかったです」「新宮さんに教わって、あなたのお父さんはこない丁寧に海苔弁を作ってはったんですわ」
  「不器用なァ′ジやのに……」
  恭介が潤んだ目を細めた。
  「不器用やさかい、皆に愛されてはったんでしょうな。食堂でお父さんの話をしたら、いろんな方が懐かしそうに話してくれはりました」「迷惑掛けてたんやないですかね」
  「いろいろあったみたいですけど、お父さんのことを悪ぅ言う人はひとりも居はりませんでした」
  「ホッとしました」
  言葉だけでなく、恭介は心底安あん堵どしたような顔を見せた。
  自分の知らない父の姿がそこにあった。
  「或る時、お父さんの同僚の方が言わはったそうです。全部食べたかどうかは分からん。
  息子さんは食べんとゴミ箱に捨てたかもしれんやないか、と」流の言葉に恭介は大きくかぶりをふった。
  「いつもは温厚な北野さんが、血相を変えて反論なさったそうです。うちの息子は嘘うそ吐ついたり、ズルは絶対にせん。それに、わしが作ったもんを平気でゴミ箱に捨てるような息子やない」
  流の言葉に、恭介は海苔弁をじっと見つめている。
  「たしかに日本一の海苔弁やわ」
  味見をして、こいしが二度、三度うなずいた。
  「ありがとうございました。これ、持って帰ってもいいですか」恭介が弁当に蓋をした。
  「もちろんです。もうひとつ持ち帰り用に作っておきましたんで、一緒にどうぞ」流が笑顔で答えた。
  「保冷剤をようけ入れとかんと」
  こいしが冷凍庫を開けた。
  「レシピを渡しときます。あなたは料理をなさらんやろさかい、お嫁さんをもらわはるまで、大事に取っといてください。このとおりに作ったらお父さんの海苔弁が出来ますんで」
  ファイルケースを入れて、流が紙袋を手渡した。
  「この前にいただいたお料理の分も合わせて、いくらお支払いしたら」恭介が財布を取り出した。
  「北野くんの気持ちに見合うだけを、ここに振り込んでくれたらええねんよ。うちは学割きくよって」
  こいしがメモ用紙を手渡した。
  「ありがとうございます」
  丁寧に折り畳んで、恭介はメモ用紙を財布に仕舞った。
  「ァ£ンピック、楽しみにしてるよ」
  こいしが恭介の手を握った。
  「はい」
  恭介が胸を張った。
  「お父さんも楽しみにしてはるやろ。せいだいお気張りやす」店の外に出た恭介に流が声を掛けた。
  「ギャンブル漬けになって、僕のことなんか忘れてるんと違いますか」恭介は足元に寄って来たひるねの頭を撫なでた。
  「こんな海苔弁を毎日作ってやってた息子のこと、忘れようと思うても忘れられん」恭介は無言のまま深く一礼した。
  「京阪に乗るんやったらそっちと違うよ」
  正面通を西に向かって歩き始めた恭介に、こいしが大きな声を上げた。
  「同じ失敗を繰り返したらあきませんね」
  頭をかきながら、恭介は踵を返し、東に向かって大股で歩き出した。
  「陸に上がった河童かっぱみたいなもんや」
  流が苦笑いした。
  「やっぱりバタフライ一本に絞ります」
  突如立ち止まった恭介が、振り向いて大きな声を上げた。
  「よろしおした」
  流が小さく頭を下げると、恭介はまた東に向かって足を踏み出す。ひるねがひと声鳴いた。
  「お父ちゃん。ずっと気になってるんやけどな」店に戻るなり、こいしが切り出した。
  「何やねん」
  後ろ手に引き戸を閉めて、流がこいしに顔を向けた。
  「まさか今晩海苔弁と違うやろね」
  「そんなことかいな。ええやないか。海苔弁でいっぱい飲やるのもァ∧なもんや」「堪忍してえな」
  眉を八の字にして、こいしが片付けを始める。
  「冗談やがな。今夜はな、太刀魚のしゃぶしゃぶや。鱧しゃぶに負けんと思うで」流が厨房に向かった。
  「さすが、お父ちゃん。これで安心して飲めるわ」こいしが目を輝かせた。
  「大分の市場で仕入れてきたんやが〈くにさき銀たち〉いう立派なブランド名が付いとる。鱧と同じように使えると思うて多めに買うといた」冷蔵庫を開け閉めしながら、流が言った。
  「骨が少ないさかい、鱧より料理しやすいんと違う?」こいしが丁寧にカウンターを磨く。
  「掬きく子こも鱧が好きやったなぁ」
  流が包丁を使う。
  「そや。太刀魚でお寿司作ったら? 鱧寿司みたいに出来るんと違う? お母ちゃん、鱧寿司が大好物やったやんか」
  こいしが厨房に首を伸ばした。
  「ちゃんとこしらえたぁる」
  流は茶の間に上がり込んで、小皿に載せた寿司を仏壇に供えた。
  「おさがりが楽しみやな」
  流の後ろで、こいしが仏壇に手を合わせた。
 

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