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第二卷 第五話  中華そば 2_鴨川食堂(鸭川食堂)_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3338
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  東本願寺前の街路樹から、セミの鳴き声がけたたましく響いてくる。京都に住んでいたころ、小野寺はよくアブラゼミを見かけたが、今はクマゼミの方が圧倒的に多いのだろう。暑苦しさで言えば、圧倒的にクマゼミの方が上だ。信号待ちをする小野寺は顔をしかめ、ハンカチで首筋の汗を拭った。
  烏丸通を東に渡り、店の前でひと呼吸した後、『鴨川食堂』の引き戸を引いた。
  「いらっしゃい。お待ちしてました」
  首からタァ‰をさげた流が迎えた。
  「これは……」
  二週間前には置かれていなかった、古びたベンチを見て小野寺が目をむいた。
  「中華そばより、このベンチを捜す方が大変やったみたいですよ」こいしが笑顔で言葉を挟んだ。
  薄うっすらとブランド名が読み取れる、清涼飲料水メーカーの赤いベンチは、ところどころ板がはがれている。
  「思い出しましたよ。そうです、こんなベンチに座って、あの屋台の中華そばを食べたんだ。食だけでなく、ここまでやってくださるとは」小野寺が懐かしげに、ベンチの背を撫なでている。
  「そない言うてもらうようなことやないんですよ。喫煙用のベンチにしようと思うて、お父ちゃんが捜して来はったんです。店内は禁煙にしなさい、て、ずっと妙さんに言われてましてん」
  こいしが小野寺の耳元でささやいた。
  「面倒くさい時代になりましたな。ま、どうぞお座りください」流にうながされて、小野寺はゆっくりとベンチに腰を下ろした。
  「橋の下で練習をしていましてね、最初は屋台のァ′ジに怒られたんですよ。ウルサイって」
  小野寺が思い出話を始めた。流とこいしは、それぞれベンチの両側に立っている。
  「言い出しっぺは、國末だったかなぁ。場所代だと思って食べた方がいいんじゃないかって。客になれば、向こうもキツくは言えないだろうと。そういうことには人一倍気が回るヤツでした」
  「食べてみたら旨かったんですな」
  流が言葉を挟んだ。
  「いや、それほど旨いとは思わなかったです。他に旨いラーメン屋が何軒もありましたからね」
  「京都は昔からラーメン屋の競争が激しおしたさかいな」「義理もあって、というか、まさに場所代でした。練習はほぼ毎日ですが、三日に一回は中華そばを食べてました。すると、不思議なもので、だんだん旨く感じるようになるんですよ。舌に馴な染じんでくるんでしょうね。最初は、食わなきゃ、と思ってたのが、いつの間にか食いたい、に変わっていきました」
  苦笑いを浮かべて、小野寺がひと息ついた。
  「どうぞ」
  ざらついたプラスティックのコップを、こいしが差し出した。
  「コップもこんな感じだったなぁ」
  笑みを浮かべて、小野寺が冷水を一気に飲み干した。
  「ぼちぼちご用意しますわ」
  流が厨房に向かった。
  「なんだかワクワクするな。昔に戻ったみたいだ」小野寺が指を鳴らした。
  「どうせならBGMも用意しよか、て言うたら、やり過ぎや、てお父ちゃんに怒られましてん」
  舌を出して、こいしがコップに水を注いだ。
  「いい匂いだ」
  厨房から漂ってくるスープの匂いに、小野寺が鼻をひくつかせ、ベンチにコップを置いた。
  「うちもお腹減って来たわ」
  こいしがお腹を押さえた。
  しんと静まり返った店に、麺の湯切りをする音が響き、忙せわしなく動く流の足音がリズミカルに流れる。
  「お待たせしましたな」
  銀盆に載せて、流が中華そばを運んで来た。
  「これだ、これだ」
  白いプラスティックの受け皿ごと受け取って、小野寺が鉢を左の掌に載せた。
  「コショーを置いときます。どうぞ、ごゆっくり」コップの横に大きなコショー缶を置いて、流が厨房に戻ると、こいしがそれに続いた。
  左手に鉢を載せたまま、小野寺はコショーをたっぷりと振りかける。缶をベンチに置いて、右手で取った割り箸を歯でふたつに割る。レンゲに掬すくったスープの香りを嗅いでから、ゆっくりと口に運んだ。
  わずかにトンコツも入っているのだろうか。鶏ガラがベースになっていることは間違いない。透き通るほどでもないが、どろっと濁る今どきのスープに比べると透明感がある。
  魚介の出だ汁しも絡んでいるような気もしなくはない。スープからはニンニクとショウガの香りが漂って来る。
  麺は細めのストレート。いくぶん固めに茹ゆでてある。具はチャーシューが二枚と薄く切った蒲かま鉾ぼこが二切れ。モヤシとメンマ、それにネギ。もも肉を使ったチャーシューが旨い。懐かしい味であると共に、どこか慣れ親しんでいる味にも思える。
  せっかくラーメン本片手に、食べ歩いて予習して来たのだからと、いちおう分析してみたものの、そんな作業は無駄だとすぐに気付き、無心で食べ続けた。麺をすすり、スープを飲み、具をつまむ。何度もそれを繰り返す。
  頭の中で描いた分析表を、まるで消しゴムで消すかのように、遥はるか遠い昔の思い出が幾重にも胸をよぎっていく。喉を通るスープにセリフがよみがえり、麺を噛み締めるごとに、笑い声が耳にこだまする。鉢を持ったまま、夢を語り合った時間が掌に伝わって来る。小野寺の目尻が薄らと潤んだ。
  「こんな味でしたかいな」
  ベンチの後ろに立って、流が声をかけた。
  「はい」
  空になった鉢を持って、小野寺が振り向いた。
  「よろしおした」
  うなずいて、流が笑みを浮かべた。
  「わたしの記憶に間違いがなければ、まったくと言っていいほど同じ味でしたが、一体どうして」
  小野寺が訊いた。
  「もちろん今は屋台はありませんのやが、当時のことを覚えている方が居おられましてな」
  流がセピア色の写真を見せた。
  橋の畔で屋台を組み立てながら、小柄な男性が照れ笑いを浮かべている。
  「そうそう、こんな屋台でした。このァ′ジに間違いありません」食い入るように小野寺が写真に顔を近付ける。
  「今も人気のレストランですが、北大路橋の西北に『グリルハセガワ』という店があるんですわ。そこのご主人の羽は瀬せ川がわさんが屋台のことを覚えてはりました。屋台をやってはったのは、安やす本もと誠せい治じさんという方やそうです」「安本さん……。名前は聞いたことがなかったなぁ」小野寺が宙を見つめている。
  「屋台で使う水と電源を羽瀬川さんから借りてはったんやそうです。そんな縁があったさかいに、屋台を辞めはってからも、しばらく交流はあったんですな。安本さんが伏見の両替町で『やすさん』というラーメン屋を開かはってからも、羽瀬川さんは何度も食べに行ってはりました。けど、安本さんは十年ほど前に病気で亡くならはった。安本さんには家族がなかったそうで、跡を継ぐもんも居らんので、店は自然消滅した。そこでプツリと手がかりが切れてしまいました」
  『やすさん』の在りし日の写真を流がベンチに置いた。
  「じゃあ、この中華そばは?」
  写真を横目に、怪け訝げんそうな顔で小野寺が訊いた。
  「縁というもんは、どこかで繋がるんですな」ベンチに向かい合う形で、流がパイプ椅子に腰を落ち着けた。
  「熱いお茶か、冷たいのか、どっちにしましょう?」こいしがベンチに湯呑を置いた。
  「熱いお茶の方がありがたいです」
  こいしが益子焼の土瓶を傾け、小野寺がほうじ茶を啜った。
  「『やすさん』の近くにある『西法寺』に安本さんが眠ってはると、羽瀬川さんから聞いたんで、お墓参りに行って来ましたんや。手がかりが途切れた以上、ご本人にお訊きするしかないと思いましてな」
  冗談とも本気ともつかない表情で流が話を続ける。
  「お参りして、ふと水みず塔とう婆ばを見ると、毎月同じ日に、同じ方がお参りなさっているのに気付きました。墓に刻んである命日と同じ日でした。お名前が金かね原はら大だい介すけ。どっかで聞いたことある名前やなぁと思いまして」流が茶を啜った。
  「金原大介……。存じませんね」
  小野寺が首を傾かしげた。
  「『新しん撰せん京市きょういち』というラーメンチェーンをご存知ですか」「もちろん。僕の学生時分は小さな一軒だけの店でしたが、今はカップ麺まで作る大きな会社になった。東京でもコンビニに売っているので、時々懐かしんで食べてますよ」「そこの社長さんが金原さんです。会うて来ましたんや。忙しい方やさかい無理やろうと思いましたんやが、安本さんのことでお話を訊きたいと言いましたら、すぐに了解をいただきました」
  ひと息入れるように、流が茶を啜る。話の続きを待つ小野寺が、空の湯呑を手にしたまま、身体からだを乗り出した。
  「安本さんは金原さんの師匠やったそうです。スープの取り方やら、麺の茹で方、チャーシューの味付けまで、安本さんは丁寧に金原さんに教えてあげはった。けど真ま似ねはするな、とも言うてはったらしい。安本さんから学んだことをベースにして、金原さんは独自のラーメンを作りあげはった」
  「驚きましたねぇ。まさか、あの屋台のァ′ジと『新撰京市』が師弟関係にあったとは」「びっくりでしょ」
  こいしが小野寺の湯呑みに茶を注いだ。
  「さすが、あれだけの店を一代で築き上げた人や。金原さんは、安本さんが屋台で出してはった中華そばのレシピを完璧に覚えてはるんです。今の時代でもこの中華そばなら充分通用する、そう言うてレシピを教えてくれはりました。その通りに作ったんが、この中華そばやというわけです」
  わずかにスープの残ったラーメン鉢に流が目を遣った。
  「そういうことでしたか」
  鉢を手に取って、小野寺がゆっくりとスープを飲み干した。
  「安本さんから金原さんへ、引き継がれたんは、夢を追い続ける心やったんでしょうな」湯呑みを掌に載せて、流がしみじみと言った。
  「一緒にグループを組んではった、後のおふたりは?」こいしが訊いた。
  「國末は家電メーカーに就職して、何度かリストラに遭いながら、中堅会社を転々として、その間もずっと素人の演劇グループを続けています。年に四、五回場末のライブハウスで公演しているようで、案内状を送ってくるんですが、一度も行ったことはありません。矢坂はプロの役者になったのですが、芽が出ないまま五年前に亡くなりました」「いち早く夢をあきらめはったあなたが、会社も興して成功なさったということですな」流が言った。
  小野寺は無言のまま、湯呑を掌でくるくると回している。
  「わしも夢を途中であきらめた方ですさかい、えらそうなことは言えまへんのやが、仕事であれ何であれ、一生懸命続けて来たことは、誰かがどこかで受け継いでくれるもんです」
  流が小野寺を真まっ直すぐに見つめた。
  「何を受け継ぐか、ですか」
  小野寺が僅わずかに間を置いてから続ける。
  「〈若い時の苦労は買ってでもせよ〉とよく言いますが、この言葉に対句があるんですよね」
  「そんなん、ありましたかいな」
  流が首を傾げる。
  「若い時の夢は幾ら積まれても売っちゃいけない」「なるほど。ここに仕舞うときます」
  流がこぶしで胸を叩たたいた。
  「メモしとかんと忘れそうや」
  こいしが新聞の端に書き留めた。
  「今思いついた言葉ですから忘れてください」小野寺が顔中で笑った�続きを待つ小野寺が、空の湯呑を手にしたまま、身体からだを乗り出した。
  「安本さんは金原さんの師匠やったそうです。スープの取り方やら、麺の茹で方、チャーシューの味付けまで、安本さんは丁寧に金原さんに教えてあげはった。けど真ま似ねはするな、とも言うてはったらしい。安本さんから学んだことをベースにして、金原さんは独自のラーメンを作りあげはった」
  「驚きましたねぇ。まさか、あの屋台のァ′ジと『新撰京市』が師弟関係にあったとは」「びっくりでしょ」
  こいしが小野寺の湯呑みに茶を注いだ。
  「さすが、あれだけの店を一代で築き上げた人や。金原さんは、安本さんが屋台で出してはった中華そばのレシピを完璧に覚えてはるんです。今の時代でもこの中華そばなら充分通用する、そう言うてレシピを教えてくれはりました。その通りに作ったんが、この中華そばやというわけです」
  わずかにスープの残ったラーメン鉢に流が目を遣った。
  「そういうことでしたか」
  鉢を手に取って、小野寺がゆっくりとスープを飲み干した。
  「安本さんから金原さんへ、引き継がれたんは、夢を追い続ける心やったんでしょうな」湯呑みを掌に載せて、流がしみじみと言った。
  「一緒にグループを組んではった、後のおふたりは?」こいしが訊いた。
  「國末は家電メーカーに就職して、何度かリストラに遭いながら、中堅会社を転々として、その間もずっと素人の演劇グループを続けています。年に四、五回場末のライブハウスで公演しているようで、案内状を送ってくるんですが、一度も行ったことはありません。矢坂はプロの役者になったのですが、芽が出ないまま五年前に亡くなりました」「いち早く夢をあきらめはったあなたが、会社も興して成功なさったということですな」流が言った。
  小野寺は無言のまま、湯呑を掌でくるくると回している。
  「わしも夢を途中であきらめた方ですさかい、えらそうなことは言えまへんのやが、仕事であれ何であれ、一生懸命続けて来たことは、誰かがどこかで受け継いでくれるもんです」
  流が小野寺を真まっ直すぐに見つめた。
  「何を受け継ぐか、ですか」
  小野寺が僅わずかに間を置いてから続ける。
  「〈若い時の苦労は買ってでもせよ〉とよく言いますが、この言葉に対句があるんですよね」
  「そんなん、ありましたかいな」
  流が首を傾げる。
  「若い時の夢は幾ら積まれても売っちゃいけない」「なるほど。ここに仕舞うときます」
  流がこぶしで胸を叩たたいた。
  「メモしとかんと忘れそうや」
  こいしが新聞の端に書き留めた。
  「今思いついた言葉ですから忘れてください」小野寺が顔中で笑った。
  「うっかり信用するとこでしたがな。中華そばのレシピもいちおうお渡ししておきます。
  金原さんいわく、東京でも手に入る材料やそうです」微笑んで、流がファイルケースを紙袋に入れた。
  「お代の方を。先日いただいた分も」
  小野寺が財布を取り出した。
  「こちらに振り込んでいただけますか。お気持ちに見合うだけでけっこうですし」こいしがメモ用紙を渡した。
  「承知しました。戻りましたらすぐに」
  小野寺が折り畳んでメモを財布に入れた。
  「それにしても暑おすなぁ」
  玄関の引き戸を開けて、流が顔をしかめた。
  「京都らしくていいじゃないですか」
  小野寺が敷居をまたぐと、ひるねが駆け寄って来た。
  「お洋服汚したらあかんよ」
  屈み込んで、こいしがひるねを抱き上げた。
  「いろいろとありがとうございました」
  深く一礼して、小野寺が西に向かって歩き出した。
  「お気をつけて」
  ひるねを抱いたまま、こいしが頭を下げる。
  「小野寺はん」
  流の声に小野寺が足を止めて、振り向いた。
  「グループの名前ですけどな」
  「なんでしょう」
  「ラディッシュっちゅうのは?」
  「大根役者から取りました」
  「やっぱりそうでしたか」
  流が笑顔を向けると、小野寺が顔中にしわを寄せ、また西に向かって歩み始めた。
  小野寺の背中を見送り、こいしはひるねを放して、流の後から店に戻った。
  「何か変わるんかなぁ、小野寺さん」
  「さぁ。変わるかもしれんし、変わらんかもしれん。どっちでもええやないか」首からタァ‰を外して、流がパイプ椅子に腰かける。
  「お父ちゃんは、どない思って、お祖じ父いちゃんの跡を継いだん?」こいしが隣に座った。
  「そんな昔のこと覚えとらんわ」
  流がぶっきらぼうに答えた。
  「お祖父ちゃんから、継げて言われた?」
  「それはない。ァ′ジから何かを強制されたことはいっぺんもない。いや、いっぺんだけあるわ」
  「なに?」
  「掬子を初めて家に連れて来て、ァ′ジとァ≌クロに紹介したときに言われた。〈一生、大事にせいよ〉てな」
  「そうやったん」
  こいしが茶の間の仏壇を覗き込んだ。
  「ァ′ジの言いつけはちゃんと守った。短い間やったけどな」流が茶の間に上がり込んで、仏壇の前に座った。
  「お母ちゃん、そんなことがあったんやて。知ってた?」流の隣に座って、こいしが線香に火を点つけた。
  「知るわけないがな」
  照れ笑いを浮かべ、流が合わせていた手を解いた。
  「言われんでも、受け継がれていくもんてあるんやね」手を合わせたまま、こいしがつぶやいた。
  「中華そばだけでは飲めんさかい、餃子ギョーザの材料を仕込んどいた。鉄板の用意してくれな。汗を流してくるわ」
  「ええなぁ、餃子。ビール足りるかな」
  こいしが冷蔵庫を開けた。
  「ちゃあんと生なま樽だる頼んである。もうすぐ浩ひろさんがかついで来るわ」「ホンマ? よっしゃあ、三人分包まんと」
  こいしが腕まくりした。
  「三人と違う。四人分包まんと掬子が怒りよるで」流が仏壇を振り向いた。
 

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