崇峻天皇暗殺
世が震撼した臣下による天皇暗殺事件
敏達天皇の次に天皇となったのは、欽明天皇の第四子橘たちばなの豊とよ日ひ皇子で、
即位して用明天皇となった。
蘇我氏の女性を妻とする用明天皇の即位によって、蘇我馬子は天皇の外戚となるが、わ
ずか二年で用明天皇は崩御。その後、馬子は後継として泊はつ瀬せ部べ皇子を担ぎ出す。
これに対して、対立する物部守屋は穴あな穂ほ部べ皇子を立てようとする。馬子らは穴穂
部皇子を討ち、さらに本拠地河内に戻っていた守屋に対する追討軍を編成する。この軍に
は多くの皇子が参加し、もはや守屋は逆賊扱いとなった。かくして蘇我・物部両軍は衣きぬ
摺ずりにて決戦を行なった結果、物部軍は壊滅。こののち、泊瀬部皇子が即位して崇峻天
皇となったのである。
だが、馬子は政治の実権は自分が握るつもりでいた。天皇は次第にそうした状況に不満
を持ち、馬子と対立するようになる。気の晴れない毎日を過ごしていたある日、天皇は献
上された猪を指して「この猪の首を斬るように、憎い相手を斬りたいものだ」と語り、武
器を集め始めた。これを知った馬子は天皇を暗殺してしまう。