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【第八章の人々】_日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进日本_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3336
【第八章の人々】
  うまや戸どの豊とよ聡と耳みみの皇み子こ(聖徳太子)
  一〇人の言葉を聞き分けるなど、数々の伝説を持つ謎多き聖人
 推すい古こ天皇の摂せつ政しようとして政治を執った聖徳太子は、「冠位十二階」や
「憲法十七条」の制定など斬新な政策を次々に打ち出し、断行した人物である。そして、
太子の生涯は多くの伝説に彩られている。
 まず誕生のきっかけは、母の穴あな穂ほ部べの間はし人ひとの皇ひめ女みこが金色の僧
を夢に見たということだった。僧は救世菩薩の化身で、妃の口に飛び込み、そのため妃は
太子を身籠ったという。生まれて四か月で言葉を発し、二歳のときには釈しや かの命日
に東方に向かって「南無仏」と再拝し、六歳で経を読み始め、七歳で経綸数百巻を読み終
えた。ほかにも、一〇人が同時に話すことを聞き分けたり、経を講じると天井から大きな
の花が降ってきたり、飢人の姿をしていた聖人を見抜いたりと、あたかも太子自身が信
仰の対象となっているかのようである。太子は仏教に深く帰依し、強い影響を受けていた
ためか、太子と仏教の関わりを示す伝説が多くの記録に残されている。
 太子を摂政の地位に就けたのは、朝廷内で絶大な権力を持つ蘇そ我がの馬うま子こだっ
た。そもそも推古天皇は馬子の姪であり、太子自身も蘇我の血を濃く引いている。太子は
蘇我氏にとって、自在に動かせるはずの人材だった。
 太子が十四歳のときに起きた蘇我・物もの部のべの戦いでは、太子は蘇我軍の一員として
参戦し、四天王像を造って勝利を招き寄せている。この戦いで物部守もり屋やは敗死し、
朝廷内での馬子の独裁が決定的となった。
 だが摂政となった太子は、馬子の思惑通りには動かなかった。多くの書物や大陸の知識
人から学んだ結果として、天皇を中心とする政治を目指すようになり、蘇我氏の勢力を抑
制し始めたのである。
「冠位十二階」は、個人の能力に応じて位を与える制度であり、これによって優秀な人物
を天皇の周囲に置くことが可能となった。そしてそれは、豪族の世襲制による地位の独占
を阻止したのである。
 また、「憲法十七条」は朝廷に仕える者の心構えを説いたものであり、天皇に従うこと
や、合議を重んじることを重視している。そして、仏教を奉じることをも強く奨めている
のである。蘇我氏も仏教を奉じる一族ではあったが、太子の仏教への傾倒は蘇我氏の目論
見よりはるかに深いものだった。太子にとって仏教は、蘇我氏という強大な力に抗するた
めの拠り所だったとも考えられる。
 しかし、太子の様々な政策にもかかわらず、蘇我氏の力は衰えなかった。晩年の太子
は、政治よりも仏教に没頭する日常を送っていたという説も唱えられている。

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