七 パートリッジ氏とリデル氏
グレン警部は、ちょっとふさぎこんだ顔色をしていた。かれは、その日の午後じゅうかかって、煙草店へはいったとわかる人々の、完全なリストをつくったらしかった。
「それで、誰だれ かはいって行くのを見かけたという者もいなかったんですね?」と、ポワロがたずねた。
「ああ、そうですとも、見かけた者はあったのです。うさん臭い顔色をした、背の高い男が三人――黒い口ひげをはやした、小柄の男が四人――あごひげが二人――肥った男が三人――みんな、見馴れない者ばかりで――そして、みんな、証言を信用するとすれば、悪い人相だというのです! 誰か、マスクをつけて、レボルバーを持ったギャングの一団がいるのを見かけなかったかと、不思議に思うくらいです!」ポワロは、同情するように、微笑を浮かべた。
「アッシャーという男を見かけたとは、誰もいわないのですね?」「ええ、誰もいわないのです。そして、それが、あの男の有利な点です。さきほども署長にいったところなんですけど、こいつは、スコットランド?ヤードのやる仕事だと思いますね。地方的な犯罪だとは、わたしには思えないんです」ポワロは、重々しくいった。
「わたしも、あなたの説に賛成ですね」
警部はいった。
「ねえ、ポワロさん、これは、いやな事件ですね――いやな事件です……どうも、わたしには気に入りませんね……」
わたしたちは、ロンドンに帰る前に、もう二人の人に面会をした。
はじめに会ったのは、ジェームズ?パートリッジ氏なる人物とだった。パートリッジ氏というのは、アッシャー夫人が生きているうちに最後に会ったといわれている人だ。かれは、五時三十分に、かの女のところで買物をしていたのだ。
パートリッジ氏は、痩せた小柄の男で、職業は銀行員だった。鼻眼鏡はなめがね をかけた、ひどく愛想の悪い、けちけちした様子の男で、その話しぶりといったらどこからどこまで、おそろしく几帳面きちょうめん だった。かれは、自分自身とそっくりの、こざっぱりとした、小さな家に住んでいた。
「ええ、と――ポワロさんですね」と、かれはいいながら、わたしの友人が渡した名刺を、ちらっと見て、「グレン警部から聞いておいでになったのですね? どんなご用でしょうか、ポワロさん?」
「わたしは、パートリッジさん、あなたがアッシャー夫人が生きているうちにお会いになった最後の方だとうかがいましたのでね」
パートリッジ氏は、両手の指先を合わして、怪しい小切手でも見るように、ポワロを見た。
「そこが、非常に議論の余地のある点でしてね、ポワロさん」と、かれはいった。「わたしの後で、たくさんの人がアッシャー夫人から買物をしてるかもしれませんね」「かりに、そうだとしても、いまのところ、そういう申し出でをしている人はないのです」パートリッジ氏は、咳せき をした。
「人によると、ポワロさん、公共の義務という観念を持っていない人がいましてね」かれは、眼鏡ごしに、しかつめらしい顔をして、わたしたちを見た。
「まったく、そのとおりですね」と、ポワロは、小声でつぶやくようにいった。「あなたは、ご自分から進んで警察へお出でになったのだそうですね?」「ええ、そうなんですよ。あのおそろしい事件のことを耳にするとすぐに、申告をした方が役に立つかもしれないと感じたので、それで、すぐに申し出たわけなんです」「非常に立派なお心掛けです」と、ポワロは、真面目まじめ くさっていった。「たぶん、わたしにも、そのお話を繰り返して聞かせていただけますでしょうね」「よろしいですとも、わたしは、この家へ帰るところだったのですが、ちょうど、五時半に――」
「失礼ですが、どうして、そんなに正確に、時間がおわかりだったのです?」パートリッジ氏は、話の腰を折られたので、いくらか気を悪くしたような顔色だった。
「教会の鐘が鳴ったからなんです。自分の時計を見て、一分おくれているのに気がつきました。ちょうど、その時が、アッシャー夫人の店へはいる前だったのです」「いつも、あそこで買物をなさるんですか?」「まあ、しじゅうといってもいいでしょう。家へ帰る道だものですからね。一週間に一度か二度、ジョン?コットンの甘い方を二ァ◇スずつ、買うのがくせでした」「アッシャー夫人を、よくご存知だったのですか? あの婦人の境遇とか、過去とかについて、なにか?」
「どんなことも、まるきり知りません。買物以外には、おりおり、お天気のことについて話すだけで、そのほかには、一度も、あの女ひと に話したこともありませんでした」「あの女ひと には酔っぱらいの亭主があって、いつも、あの女の生命をおびやかしていたということは、ご存知でしたか?」
「いいえ、あの女のことについては、どんなことも知りません」「ですけど、あの女の顔は、よくご存知だったわけですね。きのうの夕方、あの女の様子がいつもと違うのに、お気がつきませんでしたか? 心が動揺しているとか、なんか怒っているような様子はありませんでしたか?」
パートリッジ氏は、じっと考えていたが、
「どうも、わたしの気のついたかぎりでは、まったく、いつもと同じようでした」と、かれはいった。
ポワロは、立ちあがって、
「ありがとうございました。パートリッジさん、いろいろ質問にこたえていただいて。ところで、ひょっとすると、お宅に、ABCがございましょうか? ロンドンへ帰る汽車の時間を見たいのですが」
「あなたのうしろの棚たな の上にあります」と、パートリッジはいった。
いわれた棚の上に、ABCも、ブラッドショーの鉄道案内も、株式年鑑も、ケリーの人名録も、紳士録も、地方紳士録もならんでいた。
ポワロは、ABCを取り出して、汽車の時間を調べるようなふりをしていた。それから、パートリッジ氏に礼をいって、別れを告げた。
つぎに、わたしたちが会見した人は、アルバート?リデル氏で、ひどく変わった人物だった。アルバート?リデル氏は、線路工夫で、われわれの会話は、明らかに神経質な、リデル氏の細君の、皿をかちゃかちゃといわせる音や、リデル氏の飼い犬のうなり声や、リデル氏自身のむき出しの敵意などを伴奏にして、行われた。
かれは、大きな顔に、小さな、疑い深そうな目をした、大柄な、不恰好ぶかっこう な巨人といった男だった。かれは、肉入りパイを、物凄ものすご く濃いお茶で流しこみながら、食べているまっ最中だった。かれは、飲んでいるコップの縁から、腹立たしそうに、わたしたちをじっと見つめた。
「いわなくちゃならねえことは、そっくりいっちまったろう?」と、かれは、うなるようにいった。「おれになんの関係があるというんだ、いったい? いまいましい警察の野郎にいったじゃねえか、知ってることは。だのに、また、いまいましい外国人なんかにはき出さなくちゃならねえというのか」
ポワロは、素早く、おもしろがっているような目を、ちらっとわたしの方に向けてから、いった。
「まったく、あなたには同情しますよ。でも、仕方がないでしょう? なにしろ、殺人という問題でしょう? ごく、ごく、慎重にしなければなりませんからね」「この方の聞きたがってることを話した方がいいよ、バート」と、女が神経質そうにいった。
「いまいましい、手前の口なんかふさいでいろ」と、巨人はわめいた。
「あんたは、自分の方から警察へ出かけて行ったのじゃなかったと、思っていましたがね」と、ポワロは、うまく言葉をはさんだ。
「いったいなんだって、おれの方から、警察へ行かなくちゃいけないんだ? おれの知ったことじゃねえじゃねえか」
「いろいろに意見のわかれる問題ですね」と、ポワロは、冷淡にいった。「人殺しがあった――警察は、誰が店にはいったかということを知りたかったというわけですよ――わたしなら――なんといったらいいか?――そう、あんたが進んで申し出た方が、ずっと無理がなかったろう、と、わたし自身は思いますね」
「おれには、しなけりゃならねえ仕事があるんだ。おれが進んで申し出なかったなんていってもらいたくねえ。わざわざ、おれの仕事の時間のうちに――」「ところが、事実は、警察ではアッシャー夫人の店へはいって行くのを見られた人間として、あなたの名前があがってきたので、あんたのところへやって来なければならなかったというわけですね。警察は、あんたの申し開きに満足していましたか?」「どうして、満足しねえんだ?」と、バートは、あらあらしく聞き返した。
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