十一 ミーガン·バーナード
ミーガン·バーナードの言葉が、わたしをぎくりとさせたといったが、言葉そのものというより、その言葉を口から出した時の、歯切れのいい、事務的な調子が、わたしをぎくりとさせたのだった。
けれど、ポワロは、ただ重々しく頭を下げただけだった。
「ありがたい」と、かれはいった。「頭のいい方ですね、あなたは、マドモアゼル」ミーガン·バーナードは、あいかわらず、同じような偏見のない調子で、いった。
「あたしは、とてもベッティが好きでしたわ。でも、好きだからといって、あっけにとられるほどばかなあの子のことが、ちゃんとわからないほど目がめくらになっていたわけじゃないんです――それに、なんかあるたびに、あの子にいって聞かせてさえいたんです! 姉妹きょうだい って、そんなものですわ」「それで、妹さんは、いくらかでもあなたの意見に、耳をかたむけましたか?」「まあ、聞かなかったでしょうね」と、ミーガンは皮肉にいった。
「マドモアゼル、もっとはっきり、いっていただけませんか」娘は、ほんのしばらく、ためらっていた。
ポワロは、かすかに微笑を浮かべて、いった。
「では、わたしが助け舟を出しましょう。わたしは、あなたがヘイスティングズにおっしゃったことを聞きました。妹さんは、快活な、しあわせな娘で、男の友だちなんかいなかったということでしたね。ということは――一口にいえば――ほんとうは、反対だということでしょう?」ミーガンは、ゆっくりといった。
「ベッティには、悪いところはないんです。それだけは、わかっていただきたいわ。あの子は、いつでもひたむきにやりぬく娘でしたわ。途中でやめてしまうたちじゃありませんでした。まるきり、そういうのじゃないんです。ただ、あの子の好きなのは、散歩に連れ出されたり、ダンスに行ったり、それから――そうね、安っぽいお追従ついしょう だの、お世辞だの、そういったものならなんでも好きだったんです」「それに、きれいだったでしょう――ね?」この質問を、わたしが聞いたのは、これで三度目だったが、こんどは、役に立つ反響を得ることができた。
ミーガンは、するっとテーブルから離れると、スーツ?ケースのところに行って、ぱちんとそれをあけ、なにか取り出すと、ポワロに手渡した。
革かわ の額縁にはいっていたのは、金髪の、にっこり笑いを浮かべた娘の胸像だった。その髪の毛は、一見してパーマをかけたばかりだとわかるほど、ちぢれすぎるほどちぢらした毛がたっぷりと、顔から外向けにひろがっている。微笑も一筋繩ひとすじなわ ではいかない、技巧的なもので、確かに、美人といえる顔ではなかったが、きざな、安手なきれいさは持っていた。
ポワロは、それを返しながら、いった。
「あなたと妹さんとは、あまり似ていませんね、マドモアゼル」「そうなんですの! あたしが家じゅうで、一番不器量ですわ。それだけは、ようく知っていますわ」かの女は、そういうことはあまり重大なことじゃないと、あっさり片づけたいようなふうだった。
「どういう点で、妹さんがばかげたまねをしていると、はっきり考えていらっしゃるんです? たぶん、ドナルド?フレイザー氏との関係をいっていらっしゃるのじゃありませんか?」「そうですわ、ぴったりですわ。ドンは、とてもおとなしいたちの人ですわ――でも、あの人――そう、あることを恨んでいて――それで――」「それで、どうしたのです、マドモアゼル?」かれの目は、とてもしっかりと、かの女の上にそそがれていた。
わたしの思いすごしかもしれなかったが、かの女は、ちょっとためらっているような気がしたが、すぐに、こたえた。
「あたしが気にしていたのは、もしかしたら、かれが――あの子を捨ててしまいやしないかということでしたの。そういうことになったら、かわいそうですもの。あの人は、とてもしっかりした、骨身をおしまないほどよく働く人で、妹のいい旦那さんになるにちがいないんです」ポワロは、じっと、かの女を見つづけていた。かの女は、そのかれの凝視を受けても顔を赤らめるどころか、同じような、びくとも動かない目つきと、まだそのほかにも、なにか――なにか、最初に目を合わせた時の、挑戦的な、尊大な様子と、わたしに思い起こさせるものを含んだ目つきで、かれを見返していた。
「そういうことでしたら」と、とうとう、かれはいった。「もう、わたしたちは、ほんとうのことを話していないわけですね」かの女は、肩をすくめて、ドアの方を向いた。
「さあ」と、かの女はいった。「お役に立つことは、みんなお話してしまいましたわ」ポワロの声が、かの女を立ちどまらせた。
「お待ちなさい、マドモアゼル。お話しておかなければならないことがあります。もどってください」不本意ながらという様子で、かの女は、かれの言葉に従った。
いくらか、わたしも驚いたのだが、ポワロは、ABCの手紙のいきさつや、アンドーバーの殺人事件や、死体のそばにあった鉄道案内のことなどを、すっかり話し出した。
かの女の方に興味がないだろうなどと心配する必要はなかった。かの女は、ぽかんと口をあけ、目をぎらぎらと光らしながら、かれの話に聞き入っていた。
「それみんな、ほんとのことですの、ポワロさん?」「そうです。ほんとうです」「あなたは、ほんとうに、あたしの妹が、誰かおそろしい殺人狂に殺されたとおっしゃるんですね?」「そのとおりです」かの女は、深く息を吸いこんだ。
「ああ! ベッティ――ベッティ――なんて――なんて、おそろしいことでしょう!」「ですからね、マドモアゼル、わたしがあなたにおたずねしていることに、どんどんこたえてくだすっても、誰かを傷つけることになりはしないだろうかなどと案ずる必要はないのです」「ええ、よくわかりましたわ」「では、話をつづけましょう。わたしは、そのドナルド?フレイザーという男は、粗暴な、嫉妬心の強い男だという気がしたのですが、そうでしょう?」ミーガン·バーナードは、おだやかにいった。
「あたし、いまでは、あなたを信用しますわ、ポワロさん。あたし、まじりっ気なしのほんとうのことをお話しますわ。ドンは、さっきもお話したように、とっても物静かな人ですわ――瓶びん の中へ密封した人、と、あたしのいう意味がわかってくださるかしら。自分の感じていることを、言葉にいいあらわせない人なんです。でも、その底では、おそろしく物事を気にするんです。それに、嫉妬深いたちで、しょっちゅう、ベッティのことを嫉妬していました。あの人、ベッティを熱愛していましたし――もちろん、あの子も、とてもあの人を好いていましたわ。でも、ベッティは、一人の人が好きになったからといって、ほかの人は気にかけないというたちじゃなかったんです。そんな生き方をする子じゃなかったんです。
あの子は――そう、誰でも、ちょっと様子のいい男がいっしょに出かけようというと、すぐに目をつける方なんです。ですから、むろん、『ジンジャー?キャット』で働いていても、しょっちゅう、男たちと出歩いていましたわ――ことに、夏の休暇の間はね。舌のよくまわる子で、人がからかいでもすれば、すぐやり返すんです。そうしちゃ、たぶん、そんな連中と会っては、映画に行ったりなんかしていたんでしょう。本気などということはなくて――そんなようなことは、まるきりなくって――ただ、おもしろおかしく遊ぶことが好きだったんですね。いつでもいっていましたわ、そのうちいつかは、ドンと身をかためるんだから、いまできるうちに遊んでおくんだって」ミーガンが一息入れると、ポワロがいった。
「よくわかります。つづけてください」
「ドンには、あの子のそういう考え方が理解できなかったのですわ。ほんとうに自分が好きなのに、どうして、ほかの連中と出歩きたがるのか、あの人にはわからなかったんですね。
それで、一、二度、それがもとで、二人は、かっとなって大喧嘩おおげんか をしましたわ」「ドン君は、おとなしくしていられなかったというわけですね?」「ああいうおとなしい人って、みんなそうらしいんですけど、いったん、癇癪かんしゃく を起こしたが最後、手がつけられないほど腹を立てるんですね。ドンがあんまり物凄ものすごいんで、ベッティはすっかりおっかなくなっちまったんです?」「それは、いつのことですか?」「一度は、一年ほど前で、もう一度は――これは、ずっとひどかったんですが――つい一月ほど前でしたわ。週末で、あたし、家へ帰っていましたの――それで、もう一度、二人を仲直りさせようとしたんです。その時ですわ。すこしベッティに意見してやろうと思って――あんたは、すこしばかだって、いってやったんですわ。そしたらね、べつに悪気はなかったんだって、そういうだけなんです。そりゃ、そうにはちがいないでしょうけど、結局、あの子は、むちゃなことをするようになったようですわ、おわかりでしょうけど、一年前の喧嘩からこっち、ちょいちょい都合のいい嘘うそ をつくようになりました。頭の知らないことを、心が苦に病むことはないという考え方ですわね。こんどの喧嘩は、あの子がヘイスティングズへ女友だちに会いに行くと、ドンにいっておきながら、ほんとうは、誰か男といっしょにイーストボーンに行ったことが、あの人にわかっちまったことからなんです。それがまた、相手が結婚している人で、こっそりやったんで――それで、よけいに悪かったんです。とにかく、物凄い騒ぎでした――ベッティは、まだかれとは結婚していないんだから、誰とでも気に入った相手と出歩く権利があるなんて、いい出すし、ドンは、まっ青さお になって、ぶるぶる震えて、いつか――いつか――」「そして?」「殺してやるって――」と、低い声で、ミーガンはいった。
かの女は、いうのをやめて、じっとポワロを見つめた。
かれは、何度も、重々しくうなずいた。
「それで、当然、あなたは心配しておいでになった……」「ほんとうに、やるだろうなんて思いませんわ――ほんのぽっちりだって、そんなこと思いませんわ! でも、あたし、心配だったんですわ――喧嘩のことや、あの人のいったことなんかが持ち出されるんじゃないかと――だって、そのことを知っている人が、何人もいるんですものね」もう一度、ポワロは、重々しくうなずいた。
「そのとおりです。ですから、マドモアゼル、犯人の自分本位な虚栄心さえなかったら、ほんとに、そういうことになったかもしれませんね。ドナルド?フレイザーが嫌疑をまぬがれるとしたら、ABCの気ちがいじみたうぬぼれのおかげでしょうね」しばらく黙っていてから、かれはいった。
「最近、妹さんが、その結婚している男か、誰かほかの男と会ったかどうか、ご存じありませんか?」ミーガンは、首を左右に振った。
「知りませんわ。こちらに、いなかったでしょう、ですから」「でも、どう思います?」「あの問題の男とは、二度と会わなかったのじゃないでしょうか。男の方でも、喧嘩騒ぎがあったりしたと思って、避けていたでしょうね、きっと。でも、ベッティが――また、ドンにいくらか嘘をついていたとしても、あたし、驚きませんわ。そうでしょう。あの子は、ダンスや映画が大好きでしたし、むろん、ドンが、いつでも連れて行ってやれるわけじゃないでしょうからね」「とすると、誰かに、妹さんが打ち明け話をするというようなことはなかったでしょうか? たとえば、カフェの給仕仲間とかに?」「そういうことはないと思いますね。ベッティには、あのヒグリーって娘こ が我慢ができなかったんです。下品だと思っていたんですね。それに、ほかの娘は新しい子ばかりだったでしょう。どっちみち、ベッティは、人に打ち明け話をするっていうたちではありませんでしたわ」ベルが、娘の頭の上で、けたたましく鳴った。
かの女は、窓のところへ行って、身を乗り出したと思うと、急に首を引っこめた。
「ドンですわ……」
「ここへ連れて来てください」と、素早くポワロがいった。「わが優秀なる警部殿が片づける前に、ひと言話したいことがあるんです」まるで電光のように、ミーガン·バーナードは、台所から飛び出して行った。そして、二秒とたたないうちに、ドナルド?フレイザーの手をとって、もどって来た。