十五 カーマイケル·クラーク卿
チャーストンは、一方はブリクスハム、もう一方はぺイントンとトーケイの間にあって、トーベイ湾が陸地に曲がりこんでいる中ほどのところにあった。十年ほど前までは、ゴルフ場があるだけで、そのリンクの下は、緑一色に塗りつぶされた田舎いなか が、海辺うみべ までずっと伸びていて、人間の住居といえば、ほんの一軒か二軒、百姓家があるだけだった。
しかし、最近では、チャーストンとぺイントンとの間には、大きな建物が立ち並び、いまでは、海岸にも、小さな家や、バンガローや、新しい道路や、そのほかいろいろなものが、ぼつぼつとできていた。
カーマイケル·クラーク卿は、さえぎるものひとつなく海を見晴らせる土地を二エーカーほど持っていた。かれの建てた家は、モダーンな設計で――見る目にも気持ちのいい、まっ白な、矩形のものだった。かれの蒐集品を入れた、大きな美術館を別にすれば、それは、あまり大きな家ではなかった。
わたしたちが着いたのは、午前八時ごろだった。土地の警官が一人、駅に迎えに来ていて、情況をくわしく説明してくれた。
カーマイケル·クラーク卿は、毎晩、夕食の後で、散歩をする習慣があったらしい。警察が電話をかけた時には――十一時ちょっとすぎだったが――まだ、かれは帰っていないという返事だった。かれの散歩は、いつも同じコースを通ることになっていたので、そうたいして長くはかからずに、捜査隊は、かれの死体を見つけ出した。死因は、後頭部をなにか鈍器ようのもので強くなぐられたことによるものだった。開いたままのABC鉄道案内が、死体の上に伏せておいてあった。
わたしたちは、八時ごろにコームサイド(その家は、そう呼ばれていた)に着いた。玄関の戸をあけたのは、かなりの年輩の執事だったが、そのふるえている手と不安そうな顔とは、この惨劇がどれほどの打�BC谋杀案) » 正文
十五 カーマイケル·クラーク卿
时间: 2024-04-23 进入日语论坛
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十五 カーマイケル·クラーク卿
チャーストンは、一方はブリクスハム、もう一方はぺイントンとトーケイの間にあって、トーベイ湾が陸地に曲がりこんでいる中ほどのところにあった。十年ほど前までは、ゴルフ場があるだけで、そのリンクの下は、緑一色に塗りつぶされた田舎いなか が、海辺うみべ までずっと伸びていて、人間の住居といえば、ほんの一軒か二軒、百姓家があるだけだった。
しかし、最近では、チャーストンとぺイントンとの間には、大きな建物が立ち並び、いまでは、海岸にも、小さな家や、バンガローや、新しい道路や、そのほかいろいろなものが、ぼつぼつとできていた。
カーマイケル·クラーク卿は、さえぎるものひとつなく海を見晴らせる土地を二エーカーほど持っていた。かれの建てた家は、モダーンな設計で――見る目にも気持ちのいい、まっ白な、矩形のものだった。かれの蒐集品を入れた、大きな美術館を別にすれば、それは、あまり大きな家ではなかった。
わたしたちが着いたのは、午前八時ごろだった。土地の警官が一人、駅に迎えに来ていて、情況をくわしく説明してくれた。
カーマイケル·クラーク卿は、毎晩、夕食の後で、散歩をする習慣があったらしい。警察が電話をかけた時には――十一時ちょっとすぎだったが――まだ、かれは帰っていないという返事だった。かれの散歩は、いつも同じコースを通ることになっていたので、そうたいして長くはかからずに、捜査隊は、かれの死体を見つけ出した。死因は、後頭部をなにか鈍器ようのもので強くなぐられたことによるものだった。開いたままのABC鉄道案内が、死体の上に伏せておいてあった。
わたしたちは、八時ごろにコームサイド(その家は、そう呼ばれていた)に着いた。玄関の戸をあけたのは、かなりの年輩の執事だったが、そのふるえている手と不安そうな顔とは、この惨劇がどれほどの打撃をかれに与えたかを、ありありとあらわしていた。
「おはよう、デべリル」と、地方の警官がいった。
「おはようございます、ウエルズさま」
「ロンドンからおいでになった方々だ、デベリル」「どうぞ、こちらへ」かれは、朝食の用意の整っている細長い食堂へ、わたしたちを案内した。
一、二分すると、陽ひ に焼けた顔の、大柄な、金髪の男が、部屋にはいって来た。
これがフランクリン·クラークで、故人のただ一人の弟だった。
かれは、非常事態にはたびたび会った男らしい、てきぱきとした、有能らしい態度をしていた。
「おはようございます、みなさん」
ウエルズ警部が一同を紹介した。
「こちらが、犯罪捜査課のクローム警部。エルキュール·ポワロ氏、それから――ええと――へイター大尉」「へイスティングズです」と、わたしは、ひややかに訂正した。
フランクリン·クラークは、順々に、わたしたち一人一人と握手をしたが、その握手のたびに、突き刺すような目つきで相手を見つめた。
「どうぞ朝食をおとりになってください」と、かれはいった。「食べながらでも、お話はできますから」誰も異議をとなえる者はなかったので、わたしたちは、すぐに、おいしい卵とべーコンとコーヒーの食事にとりかかった。
「さて、それでは」と、フランクリン·クラークがいった。「ウエルズ警部が、昨夜、あらましの状況を説明してくださいました――が、まったくいままで聞いたこともない、野蛮きわまる事件でしょうね。クローム警部、気の毒な、わたしの兄が殺人狂の犠牲となったばかりか、これが三度目の殺人で、いつもそのたびに、ABC鉄道案内が死体のわきにおいてあるということを、わたしは信じなければならないのですね?」「まったく、そのとおりです、クラークさん」「しかし、なぜでしょう? いったい、こんな犯罪から、どんな実際的な利益が生じるというのでしょう――もっとも病的な想像をするとしてもですが?」ポワロは、もっともだというように、うなずいた。
「ずばりと的を射ておいでですね、フランクリンさん」と、かれはいった。
「いまの段階では、動機を捜しても無理なんです、クラークさん」と、クローム警部はいった。「まったく精神病の医師の扱う問題ですからね――もっとも、わたしは、精神異常者の犯罪を扱った経験もありますが、たいてい、動機は、きわめて曖昧あいまい なものですね。
自分の個性を伸ばそう、世間をあっといわせてやろう――つまり、取るに足らぬ人間のかわりに、なにものかになろうという欲望なんです」「ほんとうですか、ポワロさん?」クラークは、どうしても信じられないようだった。この年長者に対する、かれの訴えは、クローム警部には、あまりいい感じで受けとられなかった。かれは、額に八の字を寄せた。
「ほんとうですとも」と、わたしの友人はこたえた。
「いずれにしろ、そんな男なら、そう長いこと捜査の網をのがれていることはできないでしょうね」と、クラークは考え深そうにいった。
「そう思いますか? ところが、どうして、奴らは、抜け目がないんです――こういう連中ときたらね! それに、忘れちゃいけないことは、こういう連中は、きまって、これといって目立った外見上の特徴を、なにひとつ持っていないのです――いつでも、人の目に見おとされたり、無視されたり、嘲笑ちょうしょう までもされているといったような人種に属しているのです!」「二、三の点について、お聞きしたいことがあるのですが、クラークさん」と、クロームが、話にわってはいった。
「どうぞ」
「あなたのお兄にい さんのことなんですが、きのうは、心身ともに平常とお変わりなかったのでしょうね? 思いがけない手紙などは、お受けとりにならなかったのでしょうね? なにかご心配のことはなかったのでしょうね?」「ええ、いつもと、まったく変わりませんでした」「なんらかの点で、取り乱したり、気にしておいでになるようなことはなかったのでしょうね?」「失礼ですが、警部、わたしは、そうは申しあげなかったのですよ。取り乱したり、いらいらと気にしたりするのは、気の毒な兄の平常の状態だったのですから」「それはまた、どうしてだったのです?」「ご存じないかもしれませんが、わたしの嫂あによめ のクラーク夫人は、非常に健康状態が悪いのです。ここだけの話ですが、はっきり申しあげますと、嫂は、不治の癌がん をわずらっていまして、あまり長く持ちそうにもないのです。嫂の病気のことが、兄の頭をおそろしく悩ましていたのですね。わたし自身は、最近、東洋から帰って来たのですが、兄の変わりようにびっくりしたくらいです」ポワロが口を入れて、たずねた。
「いかがです、クラークさん、あなたのご令兄が崖がけ の下で、射ち殺されておいでになったとか――あるいは、そのかたわらにピストルがあるのが発見されたとしたら、あなたは、まず一番にどうお考えになります?」「率直に申しあげると、わたしは、すぐ自殺したのだと思うでしょうね」と、クラークはいった。
「まただ!」と、ポワロはいった。
「なんのことでしょう?」
「同じことが繰り返されているというのです。なに、たいしたことじゃありません」「いずれにしろ、自殺ではなかったのです」と、クロームがちょっとぶっきらぼうにいった。「ところで、クラークさん、毎晩、散歩にお出かけになるのがお兄さんの習慣だということでしたね?」「そうです。いつも散歩していました」
「毎晩ですか?」
「さよう、雨降りには出かけませんでしたがね、もちろん」「それで、お家の方はどなたも、その習慣をご存じだったのですね?」「もちろんです」「それから、外では?」
「外とおっしゃる意味がよくわからないのですが、庭番が知っていたかどうか、わたしにもわかりませんね」「それから、村では?」
「厳密にいいますと、村というものはないのです。チャーストン·フェラーズには、郵便局と人家がいくつかあります――が、村というものも、店というものもないのです」「すると、見馴みな れない人間が、この辺をうろつけば、すぐに目につくでしょうね?」「まるで反対ですね。八月には、この辺一帯はふだん見馴れない人の群れで、ごった返しになるのです。毎日のように、ブリクスハムや、トーケイや、ぺイントンから、自動車やバスに乗ったり、歩いたりしてやって来るのです。向こうの下のあたりを(と、かれは指でさして)ブロードサンドといいますが、これは、非常に評判の浜辺ですし、エルべリーの入江もそうです――こっちの方は、有名な景色けしき のいいところで、人々がピクニックに来るんです。わたしは、あんなに来てほしくないんですがね! 六月から七月のはじめにかけては、この辺一帯がどんなに美しくて、静かなところか、とてもおわかりにはならないでしょうね」「すると、見馴れない人がやって来ても気がつかないだろうと、おっしゃるわけですね?」「つかないでしょうね、その男が一見して――そう、気が変になっているというのでなければ」「この犯人は、気が変なようには見えないのです」と、クロームが確信を帯びた調子でいった。「わたしのいおうとすることがおわかりでしょう、クラークさん。その男は、あらかじめこの辺を捜し出して、お兄さんが夕方散歩に行かれる習慣を見つけたのにちがいないのです。それはそうと、きのうあたり、ご存じのない人間が、こちらのお宅へやって来て、カーマイケル卿にお目にかかりたいといった者はないでしょうね?」「わたしの知っているかぎりでは、ありません――が、デベリルに聞いてみましょう」かれは、ベルを鳴らした。そして、出て来た執事にたずねた。
「いいえ、旦那さま、どなたもカーマイケル卿を訪たず ねていらっしゃいませんでした。それに、お邸のまわりをうろついているような者も、見かけませんでした。女中たちにも聞いてみましたが、やはり、誰も気づいた者もございませんでしたようで」執事は、しばらく待っていてから、たずねた。「ご用は、それだけでございましょうか?」「いいよ、デベリル、さがってよろしい」
執事はさがって行ったが、ドアのところで一足後へ寄って、若い婦人を通してやった。
かの女がはいって来ると、フランクリン·クラークは立ちあがった。
「ミス·グレイです、みなさん。兄の秘書です」わたしの注意は、たちまち、その娘の、スカンジナビア人らしい、すばらしい美しさにとらえられてしまった。ほとんど無色といっていい灰色の髪の毛に――明かるい灰色の目――ノルウェー人やスウェーデン人の中に見られるような、透きとおった輝くばかりの白い顔色だった。年のころは二十七ぐらいで、そのはでな美しさと同じくらい有能らしい様子だった。
「なにか、お役に立ちますかしら?」と、腰をおろすと、かの女はたずねた。
クラークがかの女にコーヒーを持って来てやったが、かの女は、なにもほしくないとことわった。
「カーマイケル卿の通信を扱っておいででしたか?」と、クロームがたずねた。
「はい、全部扱っておりました」
「ABCという署名のある手紙を、一度もお受けとりになったことはありませんでしょうね?」「ABCですね?」かの女は、首を横に振った。「いいえ、確かに受けとったことはございません」「最近、夕方の散歩の途中に、誰かうろついている人間を見たというような話を、卿はなさいませんでしたでしょうね」「いいえ、そのようなお話をなすったことは、一度もございませんでした」「それから、あなた自身も、見馴れぬ人間に気がついたようなことは、おありにならないでしょうね?」「うろついていたということになりますと、はっきりいえませんわ。もちろん、いまごろの時節になりますと、おっしゃるように、歩きまわっている人はたくさんございます。べつにこれというあてもないのに、ぶらぶらゴルフ·リンクを通ったり、海辺へ行く道を降りて行ったりする人を、ちょいちょい見かけます。そういうわけですから、一年のうちでも、いまごろに見かける人は、誰もかれも顔馴染かおなじみ のない人ばかりということになりますわね」ポワロは、じっと考えながら、うなずいた。
クローム警部が、カーマイケル卿の夜の散歩の場所へ連れて行ってもらいたいと、たのみこんだ。フランクリン·クラークがフランス風の窓を通りぬけて、わたしたちを案内した。
ミス·グレイも、わたしたちといっしょに出かけた。
かの女とわたしとは、ちょっと、みんなの後になった。
「みなさんには、きっと、大変なショックだったでしょうね」と、わたしがいった。
「まったく信じられないようですわ。ゆうべ、わたくしが床へはいりましたところへ、警察から電話がかかってまいりましたんですよ。階下の話し声がいろいろ聞こえましたものですから、じっとしていられなくて降りて行って、なにかあったのかと思って、たずねたんでございますよ。ちょうどデべリルと、クラークさまとが、提灯ちょうちん を持ってお出かけになるところでしたの」「何時ごろ、カーマイケル卿は、いつも散歩からお帰りでした?」「十時十五分前ごろで。いつも脇わき の戸口から、ひとりでおはいりになって、そのまま、まっすぐ寝室へおはいりになることもあれば、蒐集品のおいてございます美術館へいらっしゃることもこざいました。ですから、警察から電話がございませんでしたら、けさになって、お起こしに伺うまで、たぶん、誰も気がつかなかったでございましょうね」「奥さんには、きっと、大変なショックだったでしょうね?」「クラーク夫人は、いつも相当の分量のモルヒネを打ちつづけていらっしゃいますんですよ。ですから、まわりで起こっていることがおわかりになるほど、意識がはっきりしていらっしゃらないと思いますわ」わたしたちは、庭の門をぬけて、ゴルフ·リンクへ出た。その隅を突っ切って、木戸を通り、けわしい、曲がりくねった道へ出て行った。
「この道を降りると、エルベリーの入江へ行けるのです」と、フランクリン·クラークが説明して聞かせた。「しかし、二年前に、本道からブロードサンドを通って、エルべリーに通じる新しい道をつくったものですから、いまでは、この道は、実際には通る人もなくなっているのです」わたしたちは、その道を降りて行った。降りきったところから、細い道が、茨いばら や羊歯しだ の生お い茂った間を、海の方へつづいている。不意に、わたしたちは、海と、まっ白な小石のきらめいている砂浜を見おろす、草つきの尾根の上に出た。まわりには、濃い緑色の木々が、下の海までつづいていた。うっとりとするようなところだった――白と、濃い緑の色と――サファイヤのような青い色と。
「なんて、きれいなんだろう!」と、わたしは、大きな声でいった。
クラークは、心のこもった目つきで、わたしの方を振り返って、「そうでしょう? ここに、こんないいところがあるのに、どうして、世間の人は、海を渡ってリビエラなんかに行きたがるんでしょう! わたしも、以前、世界じゅうを歩きまわったこともありましたが、正直なところ、こんな美しいところを、一度だって見たこともありませんでしたね」それから、いかにも夢中になったのを恥じるように、ずっと事務的な口調でいった。
「これが、兄の夕方の散歩道でした。このあたりまで来てから、小道をもどって、左へ行かずに右へ曲がって、畑のそばを通り、原っぱをぬけて、家へもどるのでした」わたしたちは歩きつづけて、原っぱを半分ほど突っ切ったところにある生垣いけがき のそばの地点に来た。死体が発見されたのは、そこだった。
クロームはうなずいて、
「これならやりやすい。男は、この陰にかくれていたのですね。お兄さんは殴なぐ りつけられるまで、なんにも気がつかなかったでしょうね」秘書の娘は、わたしの脇わき で、身ぶるいをした。
フランクリン·クラークがいった。
「しっかりなさい、ソーラ。まったく不快きわまる話だが、事実を避けるわけにはいかないんですから」ソーラ·グレイ――いかにも、かの女にふさわしい名前だ。
わたしたちは、そこから、邸へ引っ返した。死体は、写真にとって、運び去った後だった。
わたしたちが広い階段をのぼって行くと、黒い鞄をさげた医者が、部屋から出て来た。
「なにか聞かしていただくことがございますか?」と、クラークがたずねた。
医者は、首を振って、
「まったく単純なケースです。専門的なことは、検屍審問の時まで控えておきますが、とにかく、お苦しみの様子はありませんでした。即死だったのにちがいありませんですね」かれは、行こうとしかけながら、「これから、クラーク夫人のとこころへまいりますので」病院からの看護婦が、廊下の奥の部屋から出て来たので、医者は、かの女といっしょになって行ってしまった。
わたしたちは、医者の出て来た部屋へはいって行った。
わたしは、またすぐに出て来た。ソーラ·グレイは、まだ階段のあがったところに立っていた。
妙な、おびえたような色が、その顔に浮かんでいた。
「ミス·グレイ――」わたしは、立ちどまった。「どうかしましたか?」かの女は、わたしに目を向けた。
「わたくし、考えていたんですの」と、かの女はいった。「Dのことを」「Dのことを?」わたしは、ぽかんと、かの女を見つめた。
「ええ。つぎの殺人のことですわ。なんか手を打たなくちゃいけませんわ。やめさせなければいけませんわ」クラークが、わたしの後から部屋を出て来た。
かれはいった。
「なにを、やめさせるというのです、ソーラ?」「こんな、おそろしい殺人ですわ」「そうです」喧嘩けんか でも吹っかけるように、かれは、顎あご をつき出した。「いつか、ポワロさんに話してみたいと思っているんです……クロームは、なにか役に立ちましょうか?」かれは、不意にこんな言葉を吐き出した。
わたしは、かれが非常に頭のいい警官だと思われていると、こたえた。
わたしの声は、たぶん、それほど熱意がこもっていなかったのにちがいない。
「あの男は、ひどく癪しゃく にさわる態度をしていましたね」と、クラークはいった。「なんでもかでも知っているといわんばかりの顔をして――いったい、なにを知っているというんです? わたしの聞いたところじゃ、まるきりなんにも知ってやしないじゃありませんか」かれは、一、二分黙っていてから、いった。
「ポワロさんは、やっぱりそれだけの値打ちのある人ですね。わたしにひとつ計画があるんです。が、後でお話しましょう」かれは、廊下を歩いて行って、医者がはいった部屋のドアをこつこつとたたいた。
わたしは、しばらく、もじもじとしていた。娘は、じっと目の前を凝視していた。
「なにを考えていらっしゃるんです、ミス·グレイ?」かの女は、わたしの方に、目を向けた。
「わたくし、考えていたんですの、かれは、いま、どこにいるのかしらと……あの犯人のことですわ。事件が起こってから、まだ十二時間もたっていないのに……ああ、ほんとの千里眼の人っていないのでしょうか、犯人がいまどこにいて、なにをしているかが、はっきり見えるような……?」「警察が捜して――」と、わたしはいいかけた。
わたしの陳腐ちんぷ な言葉が、呪文じゅもん をやぶった。ソーラ·グレイは、われに返った。
「そうですわ」と、かの女はいった。「もちろんですわ」こんどは、かの女は、階段を降りて行った。わたしは、そこに立ちつくしたまま、かの女の言葉を、頭の中でじっと考えていた。
ABC……
かれは、いま、どこにいるのだろう……?
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