「さあ、ぼくのどこが悪いかいってください」
「わたし、ほかに愛する人がいるんですの」
今度はわたしが椅子からとびあがる番だった。
「でも、それは特定の人ではありません」彼女は、わたしの顔にうかんだ驚きの表情を見て、笑いながら説明した。「理想の男性とでもいうのかしら。でもそんな方にはまだ一度もお目にかかっていませんわ」
「その人のことを話してください。いったいどんなやつなんです?」「あら、見かけはあなたそっくりかもしれませんわ」「うれしいことをおっしゃる! では、彼のすることで、ぼくのしないことは? 一語で言ってください。酒を飲まないとか、肉を食べないとか、飛行家、見神論者、スーパーマンとか――どうすればあなたが喜ぶかさえ教えてくれたら、ぼくはなんでもやってみせますよ」
彼女は、わたしの百面相ぶりにふきだしてしまった。
「そう、まず第一に、わたしの理想の男性は、あなたが今おっしゃったようなことは言わないと思いますわ。もっと毅然きぜんとしていて、たかが愚かな小娘の気まぐれなどに左右されない人。でも、何よりも大切なのは、敢然として行動できること、死に直面してもそれを恐れないこと――つまり、偉大な行為と未知の経験に富む人ですわ。わたしが愛するのは男の人ではなくて、その人がかちえた栄光なのです。なぜなら、その栄光がわたし自身に反映するからですわ。リチャード?バートン〔探検家。英訳版『千夜一夜物語』の編纂者として有名〕を考えてごらんなさい。彼の奥さんが夫のことを書いたものを読んでみて、わたしには彼女の愛情がよく理解できましたわ。それから、スタンリー卿〔アフリカ探検家。代表作に『黒い大陸』〕夫人がおります! 彼女の夫のことを書いた本の、すばらしい最後の章をお読みになって? こういう男性こそ、女性が心から尊敬できる人たちなのです。しかも女性のほうも、その愛情によって、高貴なる行為の鼓吹者として全世界から名誉を与えられ、見劣りするどころか、かえって偉大になれるのです」 熱っぽく語りつづける彼女のあまりの美しさにうっとりとして、ともすれば相手の言葉を見失ってしまいそうだったが、けんめいに努力して議論について行った。
「しかし、だれもがスタンリーやバートンになれるわけではありませんよ。おまけに、その気になったとしてもチャンスがありません――少なくともぼくにはそんなチャンスがなかった。ぼくだってチャンスがあったらしりごみはしませんよ」「でも、チャンスはそこらじゅうにころがっていますわ。自分自身でチャンスを作りだすということも、わたしのいう理想の男性の資格なんです。彼を引きとめることはだれにもできません。わたしはまだ会ったことがないけど、その人のことなら隅から隅まで知っているような気がしますわ。わたしたちのまわりには、英雄的な事柄がいくつもあって、実行してくれる人が現われるのを待っているのです。実行するのは男の役目、女たちはそういう男たちへのごほうびとして、愛情を大切にとっておくのです。先週気球で空高くのぼって行ったあの若いフランス人をごらんなさい。あいにくと強い風が吹きまくっていましたけど、いったん発表した予定は変えられないとがんばって、とうとう出発してしまいましたわ。その結果二十四時間で千五マイルも風に流されて、ロシアのどまん中に着陸したそうですよ。あれこそわたしのいう理想の男性ですわ。彼に愛された女のことを考えてごらんなさい、ほかの女たちはどれほど彼女を羨んだことか! わたしの望みもそれなんです――わたしが愛した男のことで、同性の羨望を一身に受けることなんです」「あなたが喜んでくれるなら、ぼくもやってみせます」「でも、わたしを喜ばせることだけが目的であってはいけませんわ。やむにやまれぬ気持から、あなたにとってそうすることが自然だから――あなたの中の男性が英雄的な行為を望んでいるから、そうするのでなければ無意味です。ほら、あなたは先日ウィガン炭坑の爆発事故の記事をお書きになったでしょう。炭酸ガスをものともせずに、ご自分で坑内に降りて行って人々を助けだせなかったのかしら?」「そうしましたとも」
「だってそんなことはおっしゃらなかったわ」
「べつに吹聴してまわるほどのことじゃないからですよ」「そうとは知りませんでしたわ」彼女はあらためて興味ありげにわたしを眺めた。「とても勇敢だったのね」
「そうするしかなかったんです。すぐれた記事を書くためには、現場に居合わせなくてはなりませんからね」
「まあ、そんな散文的な動機から? そううかがったら、夢がすっかり消えうせましたわ。それにしても、動機がなんであれ、あなたが坑内へ降りたことはやっぱりうれしいですわ」
そういって彼女は片手をさしだした。そのしぐさには、優しい中にもおかしがたい気品がこもっていたので、わたしは身をかがめて接吻するだけで諦めねばならなかった。「わたしはたぶん子供っぽい空想にとりつかれた愚かな女なんでしょうけど、でも、わたしにとってはそれが現実で、もう肉体の一部になってしまったような考え方ですから、それに従って行動するよりほかないんです。結婚するとしたら、有名人を相手に選びたいと思いますわ」
「大いに結構ですとも」わたしは上ずった声で叫んだ。「男をふるいたたせるのはあなたのような女性です。ぼくにもチャンスを与えてください。そして、やれるかどうか見守っていてください! それに、あなたもおっしゃるように、男は自分でチャンスを作りださなければならない????????????、ほかから与えられるのを待っていてはだめなんだ。クライヴをごらんなさい――一介いっかいの事務員にすぎなかった彼が、インド征服の偉業をなしとげた。きっとぼくだって世界をあっといわせるようなことをやってみせますよ!」
彼女は、いかにもアイルランド人らしいわたしの突発的な興奮ぶりを見て笑いだした。
「そうですとも」彼女は言った。「あなたには、若さ、健康、力、教育、エネルギー、男の持つすべてのものがそなわっていますわ。さっきあなたにあんなことを言わせたのは、わたしがいけなかったんです。でも今は、そんなふうに考えてくださるとしたら、これほどうれしいことはありませんわ」
「で、もしぼくが――?」
彼女の掌が、暖いビロードのようにわたしの唇をおおった。
「お話はもうこれで十分。夜勤で出社する時間に、もう半時間も遅れていますのよ。ただそれを注意するのはお気の毒な気がして。いつかあなたが世界的な名声をあげたとき、たぶんこの問題をもう一度話し合う機会がありますわ」 そんなわけで、その霧深い十一月の夜、わたしは心を燃えたたせ、一刻も早く彼女にふさわしい英雄的な行為を見出さんものと、固く決意しながら、カンバウェル行きの電車めざして歩いていた。しかしながら、この広い世界で、その行為が現実となってあらわれる信じがたい形を、あるいはわたしをその行為へと導く未知の過程を、はたして何人が想像しえたであろうか?
それに、結局のところ、この開巻第一章は、わたしのこれからの物語とはなんの関係もないではないかと、読者は思われるかもしれない。しかしながら、この章なくしてわたしの物語はありえないのである。なぜならば、一人の男が、自分のまわりには英雄的な事柄がふんだんにあると考え、その一つが目につきしだい行動を開始しようという激しい意欲に燃えて世界に乗りだして行くときにのみ、彼は、わたしがそうであったように、住みなれた生活と縁を切って、偉大な冒険と偉大な報酬が埋れているすばらしい神秘と薄明の世界に挑むことができるからである。見よ、『デイリー?ガゼット』の編集室の末席を汚すこのわたしは、その夜出社してのち、グラディスにふさわしい冒険行を探し求める固い決意に燃えていたのである! 彼女が自分の名誉のために、わたしの命の危険まで求めたのは、非情というべきか、利己的というべきか? いや、中年の人間ならばそうも考えるかもしれない。だが初恋の熱病にとりつかれた二十三歳の若者の頭には、そんな考えの入りこむ余地はない。