日语学习网
蝶ちょう 二_小泉八云_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337
 蝶に関した発句ほっくの僅かな抜粋は、日本の美的側面を主題とした関心に対する、説明の助けとなるだろう。幾つかは描写に限定される──十七音で作られた極めて小さな彩色スケッチ、幾つかは可愛らしい空想や上品な暗示の域を出ない──しかし、読む者は様々な発見をするだろう。おそらくその一節それ自体は、それほど関心を惹かないかも知れない。格言的に簡潔な種類の日本の詩歌の風味は、ゆっくり学習して味わうべきで、その度合によって、辛抱強い勉強の後には、驚くべき構成の可能性を公正に推測できるようになるだろう。軽率な批判は、十七音の詩歌に幾らかの真剣さを求める主張をするのは「不合理だ」と断言する。しかし、カナの地の結婚披露宴で起きた奇跡におけるクラショーの有名な一行の場合はどうだろう?──
  Nympha pudica?Deum vidit, et erubuit.
わずか十四音──かつ不朽の名声。さて、十七の日本の音節にも全く同じように素晴らしい物が──実際、もっと素晴らしく──表現されているのは、一度や二度ではないが、おそらく千回は……しかしながら、次に示す発句に素晴らしい物は無い、文学以上の理由で選んだからだ──
  脱ぎかくる
 羽織すがたの
  胡蝶かな
〔羽織を脱ぐ途中のような──それが蝶の形〕
  鳥さしの
 竿の邪魔する、
  小ちょう哉かな
〔ああ、蝶が鳥を捕るための棒に止まり続けている〕釣鐘に
 止まりて眠る
  胡蝶かな
〔寺の鐘を止まり木にして蝶が眠る〕
  寝るうちも
 遊ぶ夢をや──
  草の蝶
〔寝ている間ずっと遊びの夢を見る──ああ草の蝶〕起き起きよ
 我が友にせん、
  寝る胡蝶
〔起きろ!起きろ!──汝を我が同志としよう、眠る蝶よ〕籠の鳥、
 蝶をうらやむ
  目つき哉
〔ああ哀れを目で表現する籠の鳥──蝶が羨ましいと〕蝶とんで──
 風なき日とも
  みえざりき
〔風が吹く日とは見えないけれど、蝶のひらひら飛ぶ様子では──〕落花らっか枝に
 かえると見れば──
  胡蝶かな
〔花が落ちてから枝に戻って見えた──見よ!ただの蝶だ!〕散る花に──
 軽さ争あらそう
  胡蝶かな
〔何と!落ちる花びらに蝶が軽さを競う努力をしている〕ちょうちょうや
 女の足みちの
  後や先
〔女の通る道の、あの蝶を見よ──後ろを飛んだり、前を飛んだり〕蝶々や
 花ぬすびとを
  つけてゆく
〔あはは、蝶々が!──花を盗んだ者の後について行く〕秋の蝶
 友なければや
  人に付く
〔痩せた秋の蝶!──(同じ種類の)仲間も無くとり残され、人の後を追う〕追われても、
 急がぬふりの
  蝶々かな
〔ああ、蝶々!追いかけられている時でさえ、決して急ぐ雰囲気がない〕蝶は皆
 十七八の
  姿かな
〔蝶というものは、全てが十七八歳の見掛けを持つ〕蝶とぶや──
 この世のうらみ
  無きように
〔蝶の戯たわむれ方は──まるでこの世界に敵意(や恨み)が存在しないようだ〕蝶とぶや、
 この世に望み
  無いように
〔ああ蝶々!──その戯れはまるで今の暮らしの状態に、それ以上何も望まないようだ〕浪の花に
 止まりかねたる、
  小蝶かな
〔波に咲く花(泡あわ)では、実際に止まるのは難しそうに見える──悲しいかな蝶であっては〕
  むつましや──
 生まれ変わらば
  野辺の蝶
〔もし(来生で)我々が野原の蝶の状態に生まれ変われたなら、一緒に幸せになれるかもしれない〕
  撫子なでしこに、
 蝶々しろし──
  誰たれの魂こん
〔ピンクの花に白い蝶がいる、それは誰の魂かと怪しく思う〕一日の
 妻と見えけり──
  蝶ふたつ
〔一日限りの妻がついに現れた──蝶の番つがい〕来ては舞う、
 ふたり静かの
  胡蝶かな
〔近づいて踊る、しかしその時会う二人はとても静かな蝶〕蝶を追う
 心もちたし
  いつまでも
〔蝶を追いかけたい心(望み)は、いつまでも持っていたいものだ〕***
 この蝶についての詩歌の見本の他にも、文学として同じ話題を扱った日本の散文をひとつ風変わりな例として提供しよう。原文から意訳だけを試みたが、それは「虫諌いさめ」という物好きな古い本から見つけられ、蝶へ講話すると仮定した形式になっている。しかし実のところ教訓的な寓話である──社会的に持ち上げたり落としたり道徳の重要性を示唆している──
「さて、春の大陽の下、風は優しく、花は桃色が真っ盛り、草は柔らかく、人々の心は愉快。蝶々は喜びいさんで羽ばたき、それは沢山たくさんの者達が今、蝶についてのチャイナの詩句と日本の詩句を作る。
「そしてこの季節、お蝶よ、まったくお前の輝く栄光の季節だ、そんなに綺麗なお前以上の美しさは誰の世界にも存在しない。他の全ての虫達はお前を讃え羨うらやむのだから──その中でお前を羨まない者はまったく居ない。虫達は孤独に羨望の眼差しを向け、人もまた羨望と讚美の両方を向ける。チャイナの荘周の夢は、お前の姿に仮装し──日本の佐国さこくは、死んだ後にお前の姿をとって、その中に霊的実体を作り出した。またお前が招く羨望も虫と人類が分け合うだけではない、魂の無い物でさえその姿をお前に変える──大麦若葉が蝶に変化へんげするのを見るがいい。
「だからこそ、自尊心をくすぐられ、自身を思うだろう『この世の全てに於おいて、自分より優れたものは何も無い!』ははは!とても上手にお前の心を推測できる、お前の身の程には過ぎた満足だ。だからこそ、どんな風にもこのように軽やかに身をまかせて飛ぶ──だからこそじっとしたままではいない──いつもいつも思っている『誰の世界にも私ほどの幸運の持ち主は居ない』
「だが今少し、自身の経歴について考えてみるがいい。思い出す価値がある、そこには低俗な側面が有るのだから。何が低俗な側面かって?よろしい、お前は生まれてから少なくない間、自分の姿に喜ぶほどの理由は無かったのだから。その時のお前ときたら、ただのキャベツの虫、毛虫でとても貧相なお前は裸の体に着る一枚の衣でさえ余裕が無く、まったく胸糞悪い外見だったのだ。この日々のお前には誰もが嫌悪の視線を向けた。実際に自身を恥じて良い理由が有って、そんな恥じたお前は身を隠す為に古い小枝と屑くずを集めて、隠れ家を作り、それを枝にぶら下げた──それから誰もがお前を呼び叫ぶ『蓑虫みのむし(レインコート虫)』その生活の期間の罪は許し難い。綺麗な桜の木の柔らかい緑の葉の間で、仲間達とよってたかって異常な醜さを作り出し、期待の目の人々は、この美しい桜の木々を誉め讃えに遠く離れた所からやって来たのに、お前を見て心を痛めた。なおかつ、これより憎むべき事でさえお前が犯人だった。貧しい貧しい男女が畑で大根を作っているのをお前は知っていた──暑い大陽の下で苦労して苦労しながら耕作し、その大根の世話をする為に心は苦痛で満たされ、お前はそこへ行く為に仲間をたきつけ、その大根の葉っぱの上と、この貧乏な人々の他の野菜の上に集まる。貪欲であるがゆえにこれらの葉っぱを略奪し、全てを醜い形状にかじった──貧乏な庶民の苦しみへの思いやりなどかけらも無い……そうだ、何という生き物だ、これがお前のやり方だ。
「そして今は美しい姿をし、昔の仲間を虫と見下す、誰かに出くわす時はいつも、知らない振りをする(文字通り『素知らぬ顔を作る』)。今は裕福で身分の高い人々以外は友達に持ちたくない……ああ、昔を忘れてしまった、違うか?
「事実多くの人々が過去を忘れてしまい、今の上品な形と白い羽の外見に魅せられ、チャイナの詩歌と日本の詩歌がお前について書く。名門の姫は以前の姿形のお前を見ることさえ我慢できないが、今は喜んで見つめ、髪留めの上に止まらせたがり、可愛らしい団扇うちわを、そこに降りてくれるよう期待して差し出す。だがこれは、古代チャイナのお前についての可愛らしくもない物語の存在を思い出させる。
「玄宗皇帝の時代、帝国の宮殿は数百と数千の美しい婦人をかかえていた──それほど沢山の、実際、彼女達の中から最上級の麗人を決めるのは、どんな男であっても困難だったろう。そこで、この美しい者達全てを一斉にひとつ所に集めて、お前が間を自由に飛び回れるようにし、髪留めに止まった乙女を威厳をもって後宮へと招くよう命令された。その時代には皇后はひとりと決められていた──良い法律だ、が、お前のせいで、玄宗皇帝はその地に多大な悪影響を与えた。お前の精神は軽薄で不真面目なのだから、とはいえそれほど沢山の美しい女性の中にも心の清らかな者が幾らかは居たはずだが、お前は美人以外は捜さないだろう、そして最も美しい外見をした者に向かって行く。したがって女性の出席者の多くは女の正しい在り方について考えるのを止めて、男達の目に華麗に見える方法を研究し始めた。その結末が玄宗皇帝の哀れで苦痛に満ちた死だ──全てはお前の軽薄で不真面目な精神のせいだ。実際に本当の性格は、他の問題行為から容易に見当がつく。例えば、木が在るとしよう──常緑樹の楢ならと松のような──誰の葉っぱも枯れずに落ちないが、いつでも緑のまま残っている──この硬い心の木々は信頼できる性格だ。だがそれは堅苦しく形式的だと言い、そいつらの外見を嫌悪し、訪問することはない。桜の木と、海棠かいどう、芍薬しゃくやく、黄色い薔薇ばらだけには行くが、彼女らは派手な花を持つからお前好みで、機嫌をとるためだけの努力をするのだ。そのような行いを納得させようとは見苦しい。これらの木は確かに立派な花を持っているが、空腹を満たす果実を持たず、贅沢ぜいたくと目立つのを好む者だけにはありがたい。それはまさしくお前の羽のはためきと優美な形が喜ばれる理由だ──だからこそ親切なのだ。
「さて季節は春、金持ちの庭を通ってふざけて踊るか、美しい桜の花咲く小路の間を羽ばたきながら、ひとりごとを言う『世の中に私ほど大きな喜びや、こんなに優れた友人を持つ者は誰も居ない。それに、全ての人達が言うかもしれないけれど、私は最も芍薬を愛している──そして黄金の薔薇は私だけの愛しい人で、どんなに小さな要求であっても従うでしょう、これが誇りであり喜び。』……そう言う。だが、華やかで優雅な花の季節は非常に短い、すぐに萎しおれて落ちるだろう。それから夏の頃の暑さ、そこでは緑の葉っぱだけになって、やがて秋風が吹くだろう、そうなれば葉っぱでさえそれ自体が雨のように降りそそぐ、パラリパラリ。避けられない不運のように、この格言は避けられない、『頼み木の下に雨ふる』(避難所と頼って居る木に雨は漏れ落ちる)。お前は昔の友人を探し出そうとするだろうから、根切り虫や地虫に乞い願う、昔の巣穴に戻らせて下さいと──だが今は羽を持っている、そのせいで穴に入れないだろう、そうして天と地の間の何処どこにも体を避難する場所は無いだろう、それに全ての灌木は枯れ果てて舌を潤すひと雫しずくの露でさえ得られないだろう──死んで横たわる以外どうしようもない。全ては軽薄で不真面目な心のせいだ──しかし、ああ!どうにも嘆かわしい結末だ……」

分享到:

顶部
11/24 22:46