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第二章 開かずの間(9)_女王蜂(女王蜂)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3337
 神尾秀子と祖母の槙が、はじかれたように耕助をみる。祖母の槙は箸はしを落とし、わなわなと唇をふるわせた。神尾秀子も一瞬さっと蒼あおざめたが、すぐ落ち着きをとりもどして、しずかに箸をはこびはじめる。智子までがおびえたような顔をして、反射的に別館のほうへ眼をはしらせた。
「あっはっは、みんな何をそのようにキョトキョトなさる。あんまりうろたえると、何かうしろ暗いことがあるように思われますぞ。金田一さん、とにかく御飯にしよう。話はそれからのことじゃ」 食事はすぐ終わった。だれも食欲がなかったのである。女中の静がお膳をかたづけると、神尾秀子は例によって、編み物をひきよせながら、「妙でございますわね。旦だん那な様はどういうお考えなのでしょう。あのことなら、十九年まえにかたづいているはずですのに」 落ち着きはらった声である。
「ふむ、それがまた、何かのはずみに蒸しかえしたというわけじゃろう。あのひとはもともと過失説に反対じゃった。金田一さん、大道寺さんはどうしろというのかな」「ああ、いや」 耕助はギコチなく咽の喉どにからまる痰たんを切りながら、「ぼくはまだ、大道寺氏にお眼にかかったことがないので、どういうお考えだかわかりませんが、どうでしょう、一応、当時の事情を話していただけないでしょうか。死体を発見したのは誰でしたか」 九十九龍馬はゆったりと、「それはわしじゃ。は、は、は、何も驚くことはない。ここにいる神尾先生がな、夜の八時ごろにやってきて、日下部さんが羊し歯だをとりにいくといって出たきりかえって来ない。何か間違いがあったのじゃないかと琴絵さんが心配している。ひとつ、探してくれないかというので、若いもんを四、五人つれて鷲わしの嘴くちばしへいったところが、たしかに誰かが滑りおちた跡がある。それから大騒ぎになって……」「ちょっと待って下さい。そのとき崖の上に、変わったことはありませんでしたか。格闘の跡とか、突き落とされた形跡とか……」「いや、気がつかなかった。そんな跡があったら、誰かが見つけているはずじゃがな、若いもんが大勢いたのだから。それにな、金田一さん、大道寺さんのいうのは、そこから突き落として殺したというのじゃないのじゃ。どこかほかで殺しておいて、死体をそこまで運んできて、崖の上から突き落としたのじゃないかというんじゃよ」 突然、智子がからだをあとへ引いた。開かずの間に飛び散っている、古い血の痕あとを思い出したからである。そして汗をふくように、ハンケチで額をおおうたが、誰ひとり、それに気がついた者はなかった。金田一耕助は眼をまるくして、「しかし、大道寺さんはどうして……」「それはな、傷の模様からそういうのじゃ。いまもゆうたとおり、わしらは崖から誰かが滑りおちたらしいということを見つけたが、その晩は舟を出すことができなんだ。何せ、鷲の嘴の下というのは、この島きっての難所でな。夜などとても近よれぬ。それで夜明けを待って舟を出したのじゃが、果たしてあのひとが、海から突き出た岩のうえにのびていた。そこで死体を舟につんで、この家へかえってくると、すぐに大道寺さん、当時は速水とゆうたが、そこへ電報をうった。すると、翌日あのひとが、加納たらいう弁護士といっしょに駆けつけてきたが、死体のうしろ頭に、ひとつ大きな傷がある。医者もそれが致命傷だというのじゃが、大道寺さんはその傷が、崖から落ちたときにできたもんと思えん。
何かでぶん殴られたのじゃないか。つまり殴り殺されたんじゃないかというんじゃ」 智子はハンケチで顔を覆うた。しかし、犠牲者の娘としては、当然のショックなので、誰もふかくは怪しまなかった。ああ、もしそのとき大道寺智子が、開かずの間にある、あの血にそまった月琴のことを話したら、この事件はもっと早く解決していたろうし、そしてまた、これからお話しようとする、あのかずかずの惨劇は起こらずにすんだであろうのに!
 金田一耕助は考えぶかい眼付きになって、「それじゃ誰も日くさ下か部べ青年が、棹さおの岬のほうへいくのを見たものはないのですか」「それがないのじゃ。それも大道寺さんの疑いを強めた理由のひとつじゃが、その日はお登と茂も様のお祭りでな。みんなそっちのほうへ集まっていたで……お登茂様というのはここの御先祖をまつったお宮じゃが、棹の岬とは正反対の方角にあるのでな」 金田一耕助はまたしばらく、だまって考えこんでいたが、やがて秀子のほうに向き直ると、「日下部青年が死ぬまえに、羊歯のことを東京へ書き送ったが、その手紙に、蝙蝠こうもりのことが書いてあったそうです。何か変わった蝙蝠を発見したとか。……あなたはそのことについて、何か御存じじゃありませんか」「ああ、あれ」 神尾秀子はハッとしたように、「おぼえていますわ。いま考えても妙なのです。あの日、あのかたは朝からカメラをもって、外出していられたのですが、お午ひる過ぎに上機嫌でかえっていらっしゃると、ゲラゲラ笑いながら、とても面白いものを発見したよ、蝙蝠だ、蝙蝠だよ。ははは、ほんとにありゃア蝙蝠だ。ぼくはその蝙蝠の写真をとってきた。これを東京へ送って、みんなを驚かしてやるんだ。……そんなことをおっしゃって、それはもう上機嫌だったんです。ところが、それから間もなくああいうことがあったので、琴絵様がせめてものおかたみにと、そのときお写しになった写真を、下田へやって現像焼き付けさせたのです。ところがかえってきた写真をみると、蝙蝠など、どこにも写っていないんです」「その写真はいまでもありますか」「はあ、とってございます。持ってまいりましょう」 秀子は古びたアルバムを持ってくると、「これでございます。この七枚がそのときお写しになった写真で……」 それは小さなライカの写真で、大道寺家の全景が一枚、月琴を抱いた琴絵、編み物をしている神尾秀子、猫を抱いた祖母の槙、あとの三枚は股また旅たびものの芝居でもあったのか、衣い装しようかずらをつけた役者の写真で、十二、三人いっしょに写っているのもあれば、立ち廻まわりの舞台面もあり、また、かずらをとって、ひとりぼんやり楽屋に坐すわっているところを、スナップしたらしいのもあった。
「この芝居はなんですか。素人しろうと芝居でもあったのですか」「いいえ、それはお登茂様のお祭に、うちで呼んだ一座なんです。嵐あらし三さん朝ちよう一座といって、その時分、毎年お祭りにはその一座にきてもらっていました」「なるほど、蝙蝠の写真はありませんね。ひょっとすると写真屋が忘れたのじゃ……」「いいえ、そんなことはございません。あの方は写真をとると、必ずダイアルをお廻しになるのです。お亡くなりになったあとで見ると、ナンバーは8と出ていましたし、そうそう現像したフィルムも、ちゃんとかえってきましたが、それにも蝙蝠の写真はございませんでした」 金田一耕助はもういちど、七枚の写真に眼をやった。ひょっとするとこのなかに、なにか蝙蝠を暗示するようなものが、写っているのではないかと思ったが、それも発見出来なかった。

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