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蚊か_小泉八云_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网
日期:2024-10-24 10:29  点击:3338
蚊か
MOSQUITOES
小林幸治訳
 自分の身を守るためにハワード博士の本「モスキート」を読んでいる。蚊の迫害を受けている。自宅の近くに幾いくつかの種類がいるが、奴らの内のひとつだけは本当に悩みの種だ──小さな針状の物と全身に銀色の小さな斑点と銀色の縞が入っている。刺された痛みは電気の火傷のように鋭く、プーンという単調な羽音は来たるべき痛みの質について予言する──特別な臭いが特別な味を示唆するのと同じくらい強烈である。この蚊はハワード博士がステゴミア?ファスキエータやクラックス?ファスキエータスと呼ぶ生き物に非常によく似ているのを発見したが、そいつの習性はステゴミアの物と同じである。例えば夜間よりむしろ日中に活動し、やっかいな事態になるのは大概が昼間である。そしてそいつは仏教徒の墓地からやって来るのを発見した──それも大変古い墓地で──庭の裏手にある。
 ハワード博士の本が明言するのは、蚊の棲すみかを取り除くには、繁殖する淀んだ水に機械油か灯油を少しだけ注そそぐ必要がある。週に一度油を使わなくてはならない「水の表面十五平方フィートに一ァ◇スの割合で、面積に応じていくらか少な目に。」……しかし近所の状態をどうか考えてほしい。
 悩みの種は、仏教徒の墓地からやって来ると言った。古い墓地では墓石ごと、前の辺りに水置き場や水箱があって、水溜みずためと呼ばれている。大半の場合この水溜は、墓碑を支える幅の広い台座に、簡単な楕円形の窪みが彫られているが 、お金のかかる種類の墓石は台座の水槽を持たず、別にもっと大きな水槽が置かれていて、ひと塊の石から切り出され、一族の家紋か象徴の彫刻と共に飾り付けがされている。最もつつましい階級の墓石の前には水溜が無く、水は茶碗か別の容器に入れられる──死者には水が必要なのだ。花もまた供えなくてはならないが、どの墓石の前にも一組の竹のコップか別の花入れが見付かるだろう、当然ながら水が入っている。墓への水を調達するため墓地には井戸がある。死者の身内や友人が訪問するたび、墓では新鮮な水が水槽やコップに注がれる。しかし、この種類の古い墓場には何千もの水溜と何万もの花入れがあって、中の水すべてを毎日入れ替えたりはできない。それは澱んで密度が高くなる。深い水槽ほどなかなか乾かない──東京の降雨は十二ヶ月の内、九ヶ月の間それを部分的に満たし続けるには十分な量である。
 そう、この水槽と花入れから敵達が生まれ、死者の水から何百万にもふくれ上がる──仏教の教義に照らしてみれば、奴らの内の幾らかは、生前の過ちから食血餓鬼じきけつがきの有り様に堕ちた、正にこの死者の生まれ変わりかもしれない……いずれにしてもクラックス?ファスキエータスの悪意は、幾人かの邪悪な人間の魂が体の傷の嘆きに凝縮されていると疑うのは正しいだろう……
 さて話を灯油に戻すが、いくつかの現場を澱んだ水の表面全体に対して、灯油の膜まくで覆おおうと蚊を根絶できる。成虫の雌めすは死ぬ時に水へ寄って大量の卵を産み落とすから、幼虫は息を上げて死ぬ。ハワード博士の本を読んだが、蚊から解放されるための実際の費用は、人口一万五千のアメリカのひとつの町で三百ドルを超えない!…… 私は不思議に思う、東京の市役所へ何か言っていれば──積極的に科学的か進歩的のどちらかだと──すぐに仏教徒の墓地の全ての水の表面を、定期的に灯油の膜で覆うべきであると命令している。どうやったら生活の救いを禁止する信仰ができるだろう──見えない生活ならなおさら──どんな命令に屈するのか?そんな命令に従うために、子孫としての孝行心を等しく納得させる夢を見させられるだろうか?それに費用のことも考えなくては、灯油を置く労働と時間、七日ごとに、数百万の水溜と、数千万の竹の花入れ、東京中の墓所で!……できる訳がない!蚊から都市を解放するには、古くからの墓所を破壊しなくてはならない──それは付属の仏教寺院の滅亡を意味するだろう──そして、たくさんの魅力的な庭園と一緒に蓮池と梵字で記された記念碑、こぶだらけの橋、聖なる森、不気味に微笑む仏像の消滅を意味するだろう!そう、クラックス?ファスキエータスの根絶は先祖代々の宗教的詩情を破滅に巻き込むだろう──大き過ぎる対価を支払うのは確実だ!……
 そのうえ私は、時が来て古い種類の仏教徒のどこかの墓所に埋葬されたいと思っている。従って霊的交友は古い人のはずだから、流行と変化と明治の崩壊を気にしない。あの庭の裏の墓地は、最適の地となるだろう。素晴らしい美しさで、驚くほど風変りな、存在する物全てが美しい、木と石のそれぞれは、もはやどんな生者の脳にも存在しない古い古い理想で形成され、影でさえこの時代と太陽ではない、決して蒸気や電気や磁気──灯油!──を知らない忘れられた世界である。大きな鐘の響きの中にも感情を目覚めさせる音色に古風な趣があり、全ての十九世紀的部分から遠く離れて非常に不思議な、ほのかな見えない感動が恐れを生み出す──とても楽しい恐れを。あの響きのうねりを聞いたことは無いが、認識できるように霊的部分を、深淵に羽ばたかせて努力している──一兆の死と誕生の朦朧とした彼方の光を思い出し到達しようともがく感覚。あの鐘が聴こえる範囲に残れるよう願っている……そして、運悪く食血餓鬼の状態になる可能性を考慮すれば、どこかの竹の花入れか水溜の中に生まれ変わる機会を得たい、そこから知人の何人かを噛むために、細くて鋭いさえずりを優しく歌い出すかもしれない。
 

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