七、船幽霊ふなゆうれい
溺死した霊は、手桶か柄杓ひしゃく(水をすくう物)と叫んで船の後を追うと言われる。手桶や柄杓の拒否は危険であるが、前もって用具の底を叩いて外し、この行動を化生達が見ることを許さず実行して、要求に応じなくてはならない。もし無傷の手桶や柄杓を幽霊へ投げれば、船を満たんにして沈める為それを使うだろう 。この形状の者達を俗に「船幽霊」と呼ぶ。
一一八五年に壇之浦の大海戦で滅んだ平家一門、この戦士達の霊は船幽霊の中でも有名である。一門の武将のひとり平知盛たいらのとももりは、この異様な役割で名高く、部下の戦士の幽霊達を従え波の上を走り、船達を追い越して襲う古い絵に代表される。
かつて義経の家臣で名高い弁慶の航海する船舶を威嚇したが、弁慶は仏教徒の数珠による手段だけで船を救うことができ、化生達は怯えて逃げた…… 知盛は、しばしば背中に船の錨いかりを背負って海の上を歩いて運ぶように描写された。彼と部下の幽霊達は、船舶の錨を引き抜いて持ち去る癖が有ると言われ、無分別に根城──下関の周辺──に繋つないでいた。
えりもとへ
水かけらるる
ここちせり、
「柄杓かせ」ちょう
船のこわねに。
〔もし首のうなじに冷たい水を振り掛けられたように感じるなら、その間──「柄杓貸せ」という──船幽霊の声を聞いている。〕
幽霊に
貸す柄杓より
いち早く
おのれが腰も
抜ける船長 。
〔船長自身の腰は、幽霊へ渡す柄杓の底よりも、物凄く早く抜ける。〕 弁慶の
数珠のくりきに
知盛の
姿もうかむ──
船の幽霊
〔弁慶の数珠の功徳は、船を追う幽霊さえも──知盛の化生でさえも──救った。〕 幽霊は
黄なる泉の
人ながら、
青うなばらに
などて出つらん
〔どんな幽霊でも黄泉よみの住民にるはずなのに、どうやって青い海原に現れたのだろう。〕
その姿、
いかりをおうて、
つきまとう
船のへさきや
とももりの霊
〔その姿は、錨を背負って船の後を追う──今は船首に、そして船尾へ──ああ、知盛の幽霊だ。〕
つみふかき
海に沈みし、
幽霊の
「浮かまん」とてや
船にすがれる。
〔「すぐに助かるだろうよ」叫ぶ幽霊は、罪業の深い海に沈んで通る船へすがりつく。〕
浮かまんと
船をしたえる
幽霊は、
沈みし人の
おもいなるかな
〔再び浮かぼうと(つまり「救われようと」)して、我々の船の後を追う幽霊達の苦労は、溺死した人達の思い(最後の執念)なのかも知れない。〕 うらめしき
姿はすごき
幽霊の
かじをじゃまする
船のとももり
〔執念深い形相で、船尾に(出る)恐ろしい知盛の幽霊が、梶の操作の邪魔をする。〕 落ち入れて
魚うをの餌食と
なりにけん──
船幽霊も
なまくさき風。
〔海で滅んだから、(この平家達は)魚の餌になっているのだろう。(いずれにせよ、いつでも)船を追う幽霊達(の出現)の風は、生の魚の臭いがする。〕