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帯の織物の町、博多に私はいる。ここには見上げるように高い町並があり、驚くような色彩に満ちた、素晴らしい小路がいくつもある。私は称名しょうみょうという名の通で佇んでいる。というのは、そこには、寺の門を通して私に微笑みかけている大仏の頭部、つまり青銅造りの巨大な頭部があるからである。この門は浄土宗の称名寺というお寺のもので、この頭部の像は美しかった。
しかし、頭部だけである。お寺の境内の舗道の上には、おびただしい銅の鏡が、夢見るような巨大な顔の顎の所まで積み上げられて、それを支えているのだった。門の出入り口の脇に立てられた案内板にその由来が記してある。これらの鏡は婦人たちが仏陀の巨大な座像を建立するために寄進したもので、ゆくゆくはそれが置かれる大きな蓮の台座を含めておよそ一〇メートルの高さになるはずで、仏像全体は銅の鏡で造られるのだという。この建立計画を成就するためにはさらにおびただしい鏡が必要となる。すでにたくさんのものが頭部を造るために潰され、改鋳されている。このような展示物を前にしても、仏教はいずれ消滅するだろうと言えるだろうか?
けれども、この光景を見て、私はけっして愉快な気分というわけにはいかなかった。
確かに、高貴な像となることを思わせる芸術的センスを満足させるものではあったが、この建立計画が有する膨大な破壊という、目に見える証拠によって衝撃を受けたからである。日本の青銅の鏡は(今日では西欧の工芸品による、ごく安価なガラスの製品に取って代わられつつあるが)、美術品と呼ばれるに値するものである。その優雅な形に精通していない者でも、月を鏡に喩えるという東洋人の魅力を感じないわけにはいかない。片面だけが磨かれていて、他の面には樹木、花、鳥、動物、昆虫、風景、伝説、幸運のしるし、神の像などの、浮き彫りの装飾が施されている。これらはありふれた鏡である。しかし、他にも多くの種類がある。なかには、「魔法の鏡」と呼ばれるような、とても素晴らしい鏡もある。――これは、この鏡から反射したものがスクリーンや壁に投影されるとき、その光の輪の中に鏡の背面のデザインが輝いている像を見ることができるからである(1)。
これら山と積まれた銅の奉納物の中にどれだけの魔法の鏡があるかは分からないが、多くの美しい物が存在していることも確かである。とても古風で趣のある作品がこうして打ち捨てられ、そして、まもなくすべて消滅する運命である。これらのものを目まの辺りにすれば、哀れなるかなと感ぜられる。おそらくあと一〇年もしたら、銀や銅の鏡は永遠に消滅してしまうだろう。これらを探し求める者は、その時には、嘆き以上のものを以て、これらの運命の物語を聞くことになるだろう。
それぞれの家庭から捧げられた鏡が、こうして雨や日光に曝され、往来の埃にまみれている無残な姿を見て何の感慨もないだろうか。きっとこれらには花嫁や赤ん坊、それに母親たちの微笑みがたくさん写し出されたことだろう。優しい家庭生活もほとんどすべての鏡に写し出されたに違いない。しかし、日本の鏡には、そのような思い出以上の、霊的な価値が与えられているのである。古い言い伝えでは「鏡は女の魂である」といわれる――これは、想像されるように、たんに比喩的な意味においてではない。というのは、多くの伝説には、鏡が、その持ち主である女性の喜びや苦痛を感じたりすることがあるし、また、鏡が曇ったり、輝いたりして、女主人の気持ちに不思議な同情を示すことがあることが伝えられているからである。それだから、鏡は生と死に影響を与えるものと信じられている。また、鏡はそれを所有していた人とともに埋葬されるという。このような神秘的な儀式に古くから――そして、現在でもなお用いられているのである。
これらの鋳物の銅の光景を見ると、「魂」の滅亡や――少なくとも霊魂的な事柄についての想いを引き起こさせるのである。これらの鏡たちが、かつて映し出した、すべての動作や顔がほとんど、鏡のそれぞれに今も付き纏っているに違いない。何者かがどこかでまだ存在しつづけていること、また、鏡にそっと近づいて、それらのうちの何枚かを光の方に突然向けてやると、縮み上がったり、また身震いしたりする、その行為の中に「過去」を捉つかまえることができるのではなかろうかと想像せずにはいられない。
さらに、この光景の哀れさが私にある記憶をとくに呼び起こしてくれた――それは、「松山鏡」という日本の昔話の記憶である。この物語は、とてもシンプルな手法といい、またもっとも簡潔な言葉使いといい、読者の経験や能力に応じて含蓄が広がるということでは、ゲーテの素晴らしい童話にも匹敵するともいえるだろう(2)。ジェームズ夫人は、ある方向でこの物語の心理学的な可能性を余すところなく究めている。彼女の小さな本を心動かされずに読むことができる者は、とても人の心を持っているとはいえないだろう。とはいえ、ジェームズ夫人の文章には――狩野派最後の大家である絵師の解釈に基づいて――見事に描かれ、彩色された絵が添えられているが、物語に込められた日本人の観念を推し量るには、この挿絵の持つ内面的な意味あいを感じとることができなければならない。(外国人たちは、日本の家庭生活に疎いので、「おとぎ話シリーズ」のために描かれた挿絵の絶妙さを十分に理解できない。しかし、京都や大阪の絹の染物師たちは、この挿絵をとても誉めているし、実際、高級な織物にそれを絶えず染め出し続けている。)しかし、この昔話にはたくさんのバージョンもあるので、読者諸氏は、つぎのあらすじから、自分たちのために一九世紀の今日の物語を容易に作ることができるであろう。
注
(1)Ayrton & Perry 教授らの「日本の魔法の鏡について」vol. xxvii the Proceedings ofRoyal Society の論文参照。また、同じ著者たちによる同一主題を扱っている論文は、vol.
xxvii The Philosophical Magazine.
(2)日本語の文章と翻訳は、B. H. チェンバレン教授の「ローマ字日本語読本」を参照。F. H. ジェームズ夫人による、子供向けの美しい版は、「著名な日本のおとぎ話」集(東京)の中の一つである。