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七月三〇日。 南側の隣の家は――低くくて、黒ずんだ構えをした家であるが――染物屋である。ご存知のように、日本の染物屋は天日で乾かすために、家の前で竹の柱と柱との間に、濃紺、紫、バラ色、薄青、パールグレイなど、さまざまな色の絹や綿の長い布を広げている。昨日、この隣人が私に自分の家に来ないかと誘ってくれた。その小さな住まいの正面を通って案内されたが、奥の縁側から、京都の古いお屋敷にも匹敵するような庭を見て驚いた。築山山水つきやまさんすいの優雅な庭園が広がり、清水の池には、すばらしい尾びれのある金魚が泳いでいる。
しばらくこの景観を堪能していたが、染物屋はお寺のようにしつらえた小さな部屋に案内した。あらゆる調度品は小さく造作されており、どのお寺でもこのような工芸的な造りとなっているものを見たことがなかった。彼は一五〇〇円ばかり掛かりましたよと言ったが、私には果たしてこの額で足りたものかどうか分からなかった。そこには、丹念に彫られた三つの仏壇があった――金泊でできた三重の黄金の輝きである。また、可愛らしい仏像が数体と多数の精巧な仏器が置かれており、黒檀の経机、木魚(1)、二つの立派な鈴りんがあった――つまり、お寺さんの仏具一式を小さくしたものがみんなここに揃っているというわけである。ここの主人は、若い頃、仏門に入り、お寺で修行していたので、浄土宗で用いられるすべてのお経を持っていた。そして、普通のお勤めならできると言っていた。毎日、決まった時間になると、家族全員が仏間に集まって、家族のみんなのために、たいていは彼がお経を読んでいる。ただ、特別な場合には近くのお寺のお坊さんが来て、お勤めをするのだという。
彼はまた泥棒についての不思議な話をした。染物屋はとくに泥棒に入られやすいのだという。理由の一端は、彼らが預かっている絹織物の価値の故であるし、また、仕事柄、儲かるものであると知られているからである。ある夕、泥棒が入った。主人は町におらず。彼の老母、妻それに女中が、その時家の中にいた。三人の賊は戸口から侵入したが、覆面をして長い刀を帯びていた。そのうちの一人が、建物の中に見習い職人たちがいないかと女中に尋ねた。女中は、闖入者たちが驚いて逃げるのではないかと思って、若い男らがまだ働いておりますと答えた。しかし、泥棒はこの言い種ぐさには乗らなかった。うち一人が玄関を見張り、他の二人は寝室に入り込んだ。女たちは恐怖し、女将おかみが「わたしらば殺したかとですか?」と聞いた。頭領と思しき男が答えた。
「殺したかなか! 金が欲しかだけたい。それが手に入らんと、こうなるまでたい」――と、刀をブスリと畳に突き立てた。老母が言った。「そぎゃんに家うちの嫁ば驚かせんでよかでっしょ。こん家の有り金全部ば差し上げますたい。ばってん、倅せがれは京都に行っとるですけん、ここにはそんなにはなかとです。そればご承知おきくだはりまっせ。」彼女は金庫と自分の財布とを差し出した。頭領がこれを数えたが、二七円八四銭しかなかった。が、おだやかに言った。「驚かすつもりはなか。お前たちがとても信心深か信徒だというこつは知っとる。だけん、お前たちゃあ、嘘ばついちゃおらんだろうね。で、これで全部かね?」「はい、そぎゃんです」と老母が答える。「おっしゃるごと、私らは仏様ば信じております。あんたたちが今私から盗ろうとなさっとは、あたし自身がかつて前世でお前さん方から盗ったことがあるけんでしょう。これはそん時の罪に対する罰ですたいね。そんならば、あんた方を騙す代わりに、私が前世でお前さん方にした罪をこの際喜んで償うことにしまっしょ。」泥棒は笑いながら言った。「婆さん、あんたはよか人たいね。あんたば信じるよ。おれたちゃあ、貧しい者もんからは盗らん。そこでたい、何さおかの着物とこれだけはもらうよ。」と、上質の絹の羽織に手を置いた。老母が答える。「倅の服なら全部さし上げますばってんが、それだけは盗らんで下さりまっせ。それは倅の物じゃなかとです。染めに預かった他所よそ様の品ですけん、他人ひと様の着物ば差し上げるわけにはいかんとです。」泥棒も納得したと見えて「そりぁそうたいな。そんなら、これは持っていかんたい。」と言った。
二?三の着物を受け取ると、泥棒はおだやかに暇乞いをし、女たちに後を付けるなと命じた。女中はなお入口近くにいたが、泥棒の頭領が傍を通るときに言った。
「お前はよくも俺たちに嘘ばついたな。――それだけん、こればやろう!」と、女中に一撃を加えて気絶させた。泥棒の誰もまだ捕まっていない。
注
(1)イルカの頭のような格好をした木の塊で、中が空洞になっている。仏教の読経に合わせて敲かれる。