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一〇月一〇日。 子どもの人生において一日――ただの一日だけ――自分の前世について思い出すことができ、また喋ることができるという。
ある子どもがちょうど二歳となった日に、その子は家の中で最も静かな処に母親によって連れて行かれ、そして穀類を振るい分ける箕みの網の中に置かれた。その子は箕の中に座っている。そして母親が子を名前で呼んで「お前の前世はなんだったろうかね?――言ってごらん」と尋ねた(1)。すると、子どもはたいがい一言で答える。不思議な理由によってそれ以上の長い答えはなされない。しばしばその答えは謎に包まれているので、お坊さんや占い師にどういうことか尋ねなければならなかった。たとえば、昨日、家の近所の銅細工師の幼子は、謎かけの問いに「うめ」とだけ答えた。ウメと言えば、今日では梅の花、梅の実、あるいは梅の花を意味する、少女の名前を意味するのである。この少年が少女であったことを意味するのだろうか? あるいは、彼自身が梅の木だったことを意味するのだろうか? 近所の者は「人の魂が梅の木に入ることはあるまいよ」と言った。占い師は、今朝この謎について問われて、男の子はおそらく、学者か詩人か、政治家ではなかったろうかと、のたもうた。梅の木は、学者、政治家それに文学者の守り神である天神様の象徴だからというのである。
注
(1)「以前の世はどんなものだったの? どうか[あるいは、お願いだから]見て、教えておくれ」