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科学はつぎのように答える。「科学の責務とは人間の経験を体系化することにあり、亡霊について理論化することではない。科学がとっているこの前提は、日本においてすら、時の経過によって支持されているではないか。眼下にあるあそこで、私の理論か、あるいは草鞋わらじを履いた農夫の思想か――どちらが現在教えられているだろうか。」
石仏と私はともに、学校を見下ろしている。そして、私が見つめると、仏様の微笑みは――たぶん光線の具合だろうが――私には表情を変えられたように思われたのだが――皮肉的な微笑みとなられた。にもかかわらず、かなりの強敵のいる要塞を熟視しておられる。そこには、三十三人の教師が四百名以上の学生たちを教えているが、信仰については教えない、たんに事実のみを教える――つまり、人間の経験の体系化の明確な結論についてだけ教えるのである。私がかりにブッダについて訊ねたとしても、三十三人の教師のうち、(ただ一人の親愛なる七十歳の漢文の先生を除けば)誰一人として答えられるものはいないだろう、と間違いなく確信できる。というのは、彼らは新しい世代の人間であり、そんな質問は「蓑の合羽を着た男たち」が考える事柄であって、明治二十六年の今日、教師たるもの、人間の経験の体系化の結論のみを考えていればよいと思っているからである。しかし、人間の経験の体系化とはいうが、科学は、決して「何時」、「何処へ」そして最も悪いことには――「何故か」について、私たちに教えてはくれない。
ブッダは、「存在の法則おきて」は一因から発するが、この法則を破滅させるも一因なり、と説いている。ブッダは、このような真理についても偉大なる修行者スラマナたる教師である。
そして、私は、この国で科学を教えることは、しまいにはブッダの教えの記憶を消し去ってしまうことになりはしないかと自問するのである。
科学はこう答える。「ある信仰が生き残る権利を持っているかどうかの真価は、私が提示する啓示を受け入れ、かつ利用する、その力の中に求められなければならない。科学は、証明できないものを肯定はしないが、また、合理的に証明できなかったものを否定するものでもない。神仏といった不可知なものについて理論化することは、人間精神に必要なものとして認めてはいるが、同時に残念だとも思っている。あなたと、かの蓑を着た農夫は、あなた方の理論を、私が持っている事実と同じレベルにまで発展させて、理論化しても構いはしないが、それ以上は必要ない。」 この石仏の深い皮肉的な微笑みからインスピレーションを受けて、私が科学と匹敵するレベルにまで理論化してみよう。