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宮原お芳の父親は、近くに水田を持っており、また村で店も営んでいる。彼女の母親は武家の出であったが、御一新ごいっしんの折りに武家制度が崩壊したときに、宮原家の養女となり、何人かの子どもを産んだが、お芳が一番下の子だった。この母親はお芳がまだ赤ん坊のときに亡くなった。宮原は中年過ぎていたが、後妻をもらった。それはある農家の娘で伊藤タマという名前であった。ぁ】マは新しい銅のような褐色の肌をした娘で、目立つほどの美人で背も高く頑丈で働き者である。ただ、村人はこの縁談に驚いた。ぁ】マは読み書きができなかったからだ。この驚きはついで興味を惹くことになった。家に入るや、彼女は絶対的な実権を手にした。ぁ】マのことがもっと分かってくると、近所の者たちは亭主の宮原が尻に敷かれているのをあざ笑わなくなった。ぁ】
マは夫よりも商売のコツをよく心得ていたので、家の仕事をすべて切り盛りし、また夫の商売を取り仕切った。おかげで二年も経たないうちに宮原の稼ぎ高は倍ほどにもなっている。宮原は明らかに自分を金持ちにしてくれる、出来のいい女房をもらったと言える。また、ぁ】マは自分の最初の男の子を生んだ後でも、継母として義理の娘には親切に振る舞っている。お芳はよく世話されて、みんなと同じように学校に入った。
子どもたちがまだ学校に通っている間に、長く待ち望まれ、また素晴らしい出来事が起こった。赤い髭を生やした見慣れない、背の高い男たち――西洋から来た外国人――が、たくさんの日本人の人夫を引き連れて、この谷にやって来て鉄道を建設したのである。それは村の後背地にある水田と森を越えて低い丘の縁に沿って敷設された。小さな駅舎が観音寺に続く古い道と交差する角の近くあたりに建てられた。村の名がプラットホームに設けられた白い駅名標に漢字で書かれている。その後に、電信柱が鉄道に並行して立てられた。そうしてやがて列車が入って来て甲高い汽笛を鳴らして停止してはまた発車する――それは古い墓地にある仏像をその石造りの蓮花の台座から揺するほどである。
子どもたちを不思議がらせたのは、北から南へと延びて鉄色に光る二本の線路が敷かれ、石炭殻が撒かれている見慣れない水平の道である。すると列車がさも荒れ狂ったドラゴンのようにゴーゴーと轟音を立てて叫んでは煙を吐き出し、またそれが通るたびに大地を揺らす汽車を見て驚いた。しかし、この驚きは好奇心になった――学校の先生の一人が、みんなに機関車がどういう作りになっているか黒板に書いて示した。また、電信の驚くべき仕組みを教えてくれたのでいっそう関心が増した。それに、新しい都と古都京都が鉄道と電信によって結ばれることを話してくれた(c)。その結果、二つの都の間を二日で旅することができるようになることや、一方から他方への通信もほんのわずか数秒で送ることができるなどの話をみんなで聞いた。
太郎とお芳は、とても仲の良い友だちになった。一緒に勉強したり遊んだりしたし、また互いの家を往き来した。けれどお芳が一一歳になったときに、学校を止めて、義母の手伝いをするように言われた。それ以来、太郎はお芳と滅多に会うこともなくなった。太郎も一四歳になって勉学を終えると、家の仕事の見習いをしはじめた。小さな弟が生まれると母は亡くなった。またその年には自分をはじめて学校に連れて行ってくれた祖父も他界した。これらのことがあって、太郎にはこの世は以前のようには輝かしいものとは思えなくなっている。一七歳になるまで彼の生活は変わらなかった。時々、宮原の家を尋ねては、お芳と話をした。彼女はすらりとした綺麗な女性へと成長している。けれど、太郎にとって彼女は今もなお昔のより幸福だった日々の楽しい遊び仲間であることに変わりはなかった。