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昔 々むかし、山やまで炭焼すみやきをする男おとこがいました。この男おとこ、心ここ
ろは優やさしいのですが、嫁よめさんももらえぬほどの貧乏びんぼうでした。
ある日ひのこと。男おとこが炭焼すみやき窯がまに火ひを入いれると、窯かま [1] の後あ
とから大おおきな蛇へびが這はい出だし [2] てきました。「お、よく見みかける蛇へびだ
な。ああっ、窯かまに近ちかづいちゃ、危あぶないじゃないか。ほれ、あっち行いけ
や。」男おとこは蛇へびを、外そとの草くさむらに出だしてやりました。
その夜よる、男おとこの家いえに、美うつくしい娘むすめが訪たずねてきました。「わ
たしは、あなたを山やまでよく見みかけていました。何なんでもしますから、嫁よめさ
んにしてください。」娘 むすめを一目見 ひとめみただけで、好 すきになった男 おとこ
は喜 よろこんで言 いいました 。「ご覧らんのとおりの貧乏びんぼうで、何なにもない
が、それでもいいなら。」こうして、娘むすめは男おとこの嫁よめさんになったので
す。
嫁よめさんは働はたらき者もので、暮くらし向むきも大分だいぶよくなってきました。
男おとこはとても幸しあわせでした。やがて、嫁よめさんのお腹なかに子供こどもが出
来できました。いよいよ生うまれるという時とき、嫁よめさんは男おとこに言いいまし
た。「今いまから赤あかんぼうを生うみますが、わたしが呼よぶまでは、けっして部屋
へやを覗のぞかないでください。」「分わかった。約束やくそくする。」
だけど、赤あかんぼうの泣なき声ごえが聞きこえると、男おとこは思おもわず、戸との
隙間すきまから中なかを覗のぞいてしまいました。「あっ!」男おとこはびっくりしま
した。部屋へやいっぱいに大蛇だいじゃがとぐろを巻まき [3] 、その真まん中なかに、生
うまれたばかりの赤あかんぼうを載のせて、ペロペロと舐なめているのです。
人間にんげんに戻もどった嫁よめさんは、赤あかんぼうを抱いだいて出でてくると、悲
かなしそうに言いいました。「あれほど、見みるなと頼たのんだのに…わたしは炭焼す
みやき窯がまの近ちかくの池いけに住すんでいた蛇へびです。あなたが好 すきで嫁 よめ
さんになりましたが、正体 しょうたいを見 みられたからには、もう、一緒 いっしょに
はおられません 。赤あかんぼうが乳ちちをほしがったら、この玉たまをしゃぶらせ [4] て
ください。わたしは山やまの池いけに戻もどります。」嫁よめさんは赤あかんぼうと水
晶すいしょうのような玉たまを置おくと、姿すがたを消けしてしまいました。
男おとこは途方とほうに暮くれましたが、赤あかんぼうは母ははのくれた玉たまをしゃ
ぶって、すくすくと育そだち [5] ました。
「母親ははおやがいないのに、不思議ふしぎなこともあるもんだ。」玉たまの話はなし
は噂うわさになって、ついに殿様とのさまの耳みみにも届とどきました。「その玉たま
をめしあげろ!」玉たまは、殿様とのさまに取とり上あげられてしまいました。
玉たまを取とり上あげられた子供こどもは、お腹なかが空すいて泣き叫さけびます。男
おとこは困こまり果はて、子供こどもを抱だくと、嫁よめさんのいる山やまの池いけに
行いって声こえをかけました。「坊ぼうの母かあちゃんよう。どうか乳ちちをやってく
れ。あの玉たまは殿様とのさまに取とられちまったんだ。」すると、嫁よめさんが現あ
らわれ、「この子この泣なくのが一番いちばん切せつない [6] 。…さあ、これをしゃぶら
せてくだされ。」と言いい、また一ひとつ玉たまをくれると、スーッと消きえました。
玉たまをしゃぶった子供こどもは、たちまち泣き止やんで、元気げんきに笑わらいまし
た。
ところが、その玉たまもまた、殿様とのさまに取とり上あげられてしまったのです。お
腹なかの空すいた子供こどもは、また泣なき叫さけびます。またまた困こまった男おと
こは池いけに行いき、事ことの次第しだいを話はなしました。すると、現あらわれた嫁
よめさんは、悲かなしげに目めを伏ふせて [7] 、「実じつは、あの玉たまはわたしの目玉
めだまだったのです。二ふたつともあげてしまいましたから、もう玉たまはないので
す。」「そ、それでは、目めも見みえないではないか、ああ、惨むごいことをしてし
まった。」男おとこは、抱だいた子供こどもと一緒いっしょに泣なきました。
「ああ、愛いとしい [8] お前まえやこの子こを泣なかせる者ものは、許ゆるさない。今い
まから仕返しかえしをします [9] 。さあ早はやく、もっと高たかいところへ行いってくだ
さい。…この子このことは頼たのみましたよ。」そう言いうと、嫁よめさんは見みる間
まに大蛇だいじゃの姿すがたになって、ザブン!と池いけに飛とび込こみました。
池いけの水みずが山やまのように膨ふくれ上あがり、周まわりに溢あふれだします。男
おとこは我わが子こを抱かかえ、夢中むちゅうで高たかい方ほうへ駆かけ上のぼりまし
た。上のぼって上のぼって振ふり返かえると、池いけは吹ふき上あげるように水みずを
溢あふれさせ、麓ふもとのお城しろまで流ながれていきます。そして、あっという間ま
に殿様とのさまもろとも [10] お城しろを呑のみ込こみ、どこかへ押おし流ながしてしまい
ました。
[1] 「窯」,名词。窑,炉。
[2] 「這い出す」,动词。爬出来。
[3] 「とぐろを巻く」,卷成一团。
[4] 「しゃぶる」,动词。含,嗍。
[5] 「すくすくと育つ」,茁壮成长。
[6] 「切ない」,形容词。喘不过气来,难过,苦闷。
[7] 「目をふせる」,(不敢正视对方而)低头朝下看。
[8] 「愛しい」,形容词。可爱,可怜。
[9] 「仕返しをする」,报仇。
[10] 「もろとも」,名词。一起,一同,共同。
从 前,有个靠烧炭为生的男子。这男子心地善良,可他穷得连媳妇也娶不起。
有一天,他正往烧炭的炉子里添柴,突然发现从炉子后面爬过来一条大蛇。“哦!经常见到
这条蛇呀。啊呀!你不要靠近炉子,这太危险了。快!去那边吧!”说着他把这条蛇驱赶到
了外面的草丛里。
那天晚上,这男子家里来了一位美丽的姑娘。姑娘说:“我经常在山里见到你。请娶我为妻
吧!我什么都能干。”这男子对姑娘一见钟情,非常高兴地说:“如你所见,我很穷。如果
这样可以的话……”姑娘就这样成了这男人的妻子。
由于妻子很能干,所以日子也逐渐好起来,男子感到十分幸福。不久,妻子怀孕了。快临
产的时候,妻子告诫男子说:“我就要生产了,我若不叫你的话,你千万不要往屋子里面
看。”男子说:“明白了。我保证!”
可是,当一听到小孩子的啼哭声,男子就忍不住从窗户的缝隙往屋里偷看。“啊!”男子一
看吓得惊叫起来。屋里竟满满地盘踞着一条大蛇,它中间围着一个刚出生的小孩,大蛇正
在用舌头舔那个小孩。
过了一会儿,变回人形的妻子抱着孩子从屋里走了出来,她悲伤地说:“我是如此叮嘱你不
要看的,可你……我就是那只住在烧炭炉旁边池塘里的大蛇。因为喜欢你,所以嫁给了
你。但是,既然真相被你看到了,那么我们就不能在一起了。如果孩子想吃奶,就给他舔
这粒珠子吧。我要回山中的池塘里去了。”说完,妻子留下孩子和一颗水晶般的珠子,就消
失了。
男子不知所措,而孩子则舔着妈妈留下的那颗珠子,逐渐茁壮成长起来。
大家纷纷议论道:“妈妈不在了,孩子竟能如此健康成长,真是太神奇了!”就这样,关于
珠子的传言一传十,十传百,最终传到了老爷的耳朵里。“把珠子给我!”老爷一把抢走了
珠子。
珠子被抢走后,孩子饿得直哭喊。男子实在没办法了,只好抱着孩子,来到山上池塘边,
喊到:“孩子他娘,无论如何,请给孩子喝口奶吧!那个珠子被老爷抢走了。”就在这时,
他妻子出现了:“听到孩子哭是最痛苦的。好吧!把这个珠子给他舔吧。”于是,她给了这
男子另一枚珠子,然后“嗖”地一声就消失了。舔着珠子的孩子,立刻停止了哭泣,充满活
力地笑了起来。
但是,这粒珠子又被老爷夺走了。饿着肚子的孩子又哭喊起来。万般无奈的男子再一次来
到池塘边,把事情的原委告诉了妻子。听罢,妻子悲伤地闭目而道:“其实啊!那两颗珠子
是我的眼珠啊。两个都给你了,已经没有了。”“啊?那、那你不就看不见了?啊?我干了
多么残忍的事儿啊!”这男子抱着孩子失声痛哭。
“我一定不会饶恕让你和孩子痛哭的人!我现在就要报仇。快!你们快到高处去。孩子就交
给你了。”说完,妻子一下子变成一条大蛇,“扑通”跳进了池塘里。
池子里的水涨得像山一样高,把周围的一切都淹没了。男子抱着孩子,拼命往高处奔跑。
跑啊,跑啊,他回头看时,只见池塘的水不断往外喷涌,一直涌向山脚下的宫殿。瞬间,
老爷和宫殿就淹没在大水之中,被冲得无影无踪了。
语法详解
(1)用言の連体形/名詞+だけで
表示仅依靠前项方式就可以实现后项结果。相当于“只……就……”“仅
靠……就……”
* 薬を飲むだけで、風邪が治りました。
只靠喝药感冒就好了。
* あそこへは自転車だけで行けますよ。
仅靠自行车就能去那里。
* この映画が面白いだけで、何の役にも立たない。
这部电影只是有趣,什么作用也没有。
(2)用言の終止形+からには
表示让步的意思,相当于“既然……就……”
* イタリアに来たからには、一日も早くイタリアの習慣に慣れるつもり
だ。
既然来到了意大利,就打算尽早适应意大利的风俗习惯。
* 学生であるからには、よく勉強しなければならない。
既然是学生,就必须好好学习。
小知识
炭焼き
平安期の貴族生活には暖房用に木炭が用いられ、さらに中世以後、茶の
湯の普及と都市生活の発展に伴ってその需要もしだいに増していったの
で、京坂周辺にはそのためいくつかの製炭地が形成された。近世に入る
と、都市生活の一般化に伴い木炭の需要が高まって、製炭業もしだいに
広まった。広く国中の山村に冬期兼業としての製炭稼ぎが一般化するの
は明治末期以後のことである。古い専業的炭焼きはおもに鉱山の精錬業
や鍛冶に随伴した存在であった。しかし今日、いわゆる「燃料革命」の
結果、炭焼きはまったく過去のものと化しつつある。
烧制木炭
平安时期的贵族生活多用木炭取暖,中世以后,随着茶道的普及和城市生
活的发展,木炭的需求逐渐增加,于是,在京都大阪附近形成了几个木炭
产地。进入近世以后,城市生活的发展使得木炭需求量增加,烧炭业逐渐
扩大。明治末期以后,日本各地的山村广泛地将烧炭作为冬天的副业。这
是伴随着矿山的精炼业和冶炼技术的发展而存在的。但是,今天,作为“燃
料革命”的结果,烧炭已经成为历史的产物。