六合村(くにむら) (群馬県吾妻郡)
六つの大字が合併し、『日本書紀』にちなんで「くに」と読んだ
「六合村」と書いて「くにむら」と読む場所は、地名のいわれが壮大なら、その生い立ちも壮大だ。なんといっても、天下の草津温泉の揺よう籃らん期、その卵を温めたともいえる温床の役を果たしているからだ。
「六合村」と書いて「くにむら」と読む場所は、地名のいわれが壮大なら、その生い立ちも壮大だ。なんといっても、天下の草津温泉の揺よう籃らん期、その卵を温めたともいえる温床の役を果たしているからだ。
一八八九(明治二十二)年の町村制施行の際、この一帯の大おお字あざ「小雨」「生なま須す」「入山」「太おお子し」「日影」「赤岩」「前口」「草津」の八集落で、草津村が誕生した。
このうち草津は、すでに温泉地として名高かったため、一九〇〇(明治三十三)年、前口とともに草津村から離れ、本来の地名の草津で町制をしくことになる。
それゆえ残された六集落は、新しい名前を考えなければならなくなった。そのとき参考にしたのが、日本の国づくりを記録した『日本書紀』だったという。
『日本書紀』では、神じん武む天皇の即位を記す直前の段に、「兼六合以開都」の記述があった。これは「くにのうちをかねて、もってみやこをひらく」と読む。
ここから「六合」というのが、「くにのうち」ということがわかる。その意味するところは、東西南北の四方に天と地を合わせた六つが、国のすべて、支配の範囲ということだ。
たまたま旧大字の六集落でつくる村だから数が合う……というので、「六合」と書いて「くに」と読む村名が決められたというわけだ。