池鯉鮒宿(ちりゆうじゆく) (愛知県知立市)
コイやフナがたくさんいた、殺生禁断の知立神社の池
「池鯉鮒」とは、知ち立りゆう市の前身である江戸時代の宿場名の表記だ。江戸時代に入って街道が整備されると、この地はもっとも重要な道路?東海道の三九番目の宿に定められた。
「池鯉鮒」とは、知ち立りゆう市の前身である江戸時代の宿場名の表記だ。江戸時代に入って街道が整備されると、この地はもっとも重要な道路?東海道の三九番目の宿に定められた。
それを機に、それまで「知立?智立」と書いていた地名を池鯉鮒に改めたのだ。その頃は旧仮名遣いだから、「ちりゅう」という地名も平仮名で書けば「ちりふ」となる。そのまま音読みで、あてはまる漢字を選んだというわけだ。
ただ、音が合えばどんな漢字でもよかったわけではない。「鯉こい」や「鮒ふな」といった淡水魚の名前、そして、その魚が泳ぐ「池」が選ばれたところに意味がある。
この地には大切なものが二つあり、それが知立神社と御み手た洗らい池だった。知立神社は、いわば近隣集落も含めた土地の氏うじ神がみであり、御手洗池はご神しん水すい。
祭りのときに体を清めたり神輿みこしを洗ったりするほか、日照りの夏は雨乞ごい神しん事じもおこなった。
この御手洗池は、生き物を殺してはならないという殺せつ生しよう禁止の池で、コイやフナがいても、釣ったり、ましてや食べたりすることはけっしてなかった。その想いを込めて、宿場としての役割がまっとうできるよう、池鯉鮒を宿場名としたのである。
池鯉鮒の宿場としての指定は一六〇一(慶長六)年のことで、三年後には道路の改修工事や並木の整備もおこなわれた。そのときの松はいまでも一七〇本が残っており、知立市内に五〇〇メートルにわたって往年の東海道の姿をうかがわせている。