十八女(さかり) (徳島県阿南市)
坂理の地で、女ざかりの十八で亡くなった姫君
徳島県の阿南市に「十八女」という地名の場所がある。これで「さかり」と読むので、「なるほど、女も十八歳くらいがさかりといえばさかりだからね……」と思う人もいるかもしれない。それに、昔は人生五十年だったわけだから、十八といえば、いまの二十四、五あたり。たしかに、女ざかりだと納得してしまうのも無理はないが、それはどうやら見当はずれらしい。
徳島県の阿南市に「十八女」という地名の場所がある。これで「さかり」と読むので、「なるほど、女も十八歳くらいがさかりといえばさかりだからね……」と思う人もいるかもしれない。それに、昔は人生五十年だったわけだから、十八といえば、いまの二十四、五あたり。たしかに、女ざかりだと納得してしまうのも無理はないが、それはどうやら見当はずれらしい。
じつは、太竜寺という札所がある山一帯は、古くは「坂さか里り」と呼ばれていた。
伝説によれば、この地には若き女帝?安あん徳とく天皇が知人を通じて都落ちしてきた。
そこで、代々の庄屋で、村の中央に大きな家をもっていた湯浅家が、奥の間に一室をしつらえて、そこを「行かずの間」とし、姫(安徳天皇)をかくまった。ところがその姫は、十八という若さでこの世を去ってしまう。
よって、この伝説から、十八女という字を使って地名をあらわすようになったのだという。一説には、湯浅家の人々が姫をかくまいつつも、八歳のときから十八歳までの十年間をわが子のように育てたという話もある。それならば、その一族の悲しみやいかばかりだったろうか……。
しかし、安徳天皇は源平合戦の壇ノ浦の戦いで、わずか七歳で亡くなったとされているし、そもそもこの伝説では、安徳天皇がじつは、男宮として即位させられていた女帝だったという説を基にしているので、伝説自体の信憑性には疑問が残る。ただ、この「十八女」という地名が、少なくとも「女ざかり」などという色っぽい意味で付けられたのではなく、十八歳という若さで亡くなったお姫様をしのんで付けられたということはたしかなようだ。