洗足(せんぞく) (東京都目黒区)
洗足の「足」とは、なんと日 の足だった
東京都目黒区にある「洗足」は、大正初期までは雑木林と湿地帯が広がる未開の地だったが、やがて宅地造成が進められ、一九二二(大正十一)年頃に今日の町並みの原形ができあがったとされている。
そして、その後は高級住宅地としても知られるようになり、今日に至っている。
この洗足は、お隣の大田区南千せん束ぞく?北千束とともに、中世の頃には「荏え原ばら郡千束郷」と呼ばれていた。
「千束」とは、千束分の稲が貢こう祖そとして納められていたことから名付けられた地名だといわれる。
そして、この千束の一部が「洗足」という地名に変化したわけだが、これにはある有名な伝説が関わっている。
鎌倉時代、日にち れん宗の開祖である日 は、池上に向かう途中、ある大池で足を洗ったという。この噂はどんどん広まり、その大池の知名度も徐々に高まっていった。
そして、それまで「千束の大池」と呼ばれていたその池は、やがて「洗足池」と呼ばれるようになったのである。
現在、この洗足池は大田区内にあり、近隣の人々から親しまれている。ところが、なぜか洗足池のある大田区の地名は「千束」のまま(南千束)で、「洗足」に変わったのは洗足池のない目黒区内の地名だというのだから、なんとも腑に落ちないような話ではある。