日立(ひたち) (茨城県日立市)
じつは、企業名にちなんだわけではなかった「日立」 茨城県北部にある日立市は、かつては県庁所在地である水戸市よりも人口の多い、茨城県下第一の都市だった。それというのも、この市は、その名のとおり、世界的な企業である日立製作所とその系列会社が大きな地位を占める、いわゆる「企業城下町」であるためだ。
そんな土地柄だけに、「日立」という地名は、当然、日立の企業名から付けられたものかと思いきや、じつはそうではない。
一八八九(明治二十二)年に市制?町村制がしかれた際に、多賀郡宮田村と滑川村が合併することになった。しかし、このときに新しい村名をどうするかでもめ、紆う余よ曲折を経て「日立村」という名前に決定した。茨城のあたりはかつて「常陸ひたちの国くに」と呼ばれており、それにちなんで名付けられたのである。
ただし、宮田村や滑川村のあたりは常陸国の中心ではない。それなのに日立村と決まったのは、一説には、かつて水戸藩主の徳川光みつ圀くにがこの地の山を訪れ、朝日が昇るのを眺めて、「日の立ち昇るところ領内一」と言った故事にちなんだともいわれる。
なお、日立市は、二〇〇四(平成十六)年十一月に十王町と合併して規模が拡大。二〇〇七(平成十九)年四月現在の人口は約一九万六五〇〇人となっている。