下馬(しもうま) (東京都世田谷区)
下馬の「馬」は、沢にはまって死んだ源頼朝の愛馬 東京都世田谷区の「下馬」は、東急東横線の祐ゆう天てん寺じ駅と同田園都市線の三さん軒げん茶ぢや屋や駅とのあいだにある地域で、昭和女子大学をはじめ、大学や高校などが集まった文教地区として知られている。また、世田谷公園沿いを通る三み宿しゆく通りには、おしゃれなカフェやレストランなどが並んでいて、テレビなどでも盛んに取り上げられるスポットだ。
ところで、その「下馬」という地名だが、じつはこれ、源頼朝に関係がある。一一八九(文治五)年、のちに鎌倉幕府を開いた頼朝は、奥州征伐へ向かう途中でこの付近を通りかかった。ところが、沢でがけ崩れが起き、愛馬が沢の深みにはまって死んでしまった。
そこで頼朝は、「これからこの沢を渡るときは、馬を引いて渡れ」と命じたという。この沢は、それにちなんで「馬引沢」と呼ばれるようになったとされる。
やがて江戸中期になると、この一帯は「上馬引沢」「野沢」「下馬引沢」の三つの村に分かれた。そして、現在の下馬のあたりは「下馬引沢村」となったが、一九三二(昭和七)年に世田谷区ができた際に、地名の後ろの二文字の「引沢」が消えて、前の二文字「下馬」だけが残ったのである。
現在、祐天寺駅から徒歩で約十分ほどのところには、かの沢で死んだ頼朝の馬を埋葬したといわれる芦あし毛げ塚づかがあり、当時の面影をしのばせている。