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羽犬塚(はいぬづか)
日期:2025-02-28 20:50  点击:297
羽犬塚(はいぬづか) (福岡県筑後市)
   羽があると思うほどすばしこい、秀吉の愛犬に由来 福岡県南部にある筑ちく後ご市は、人口約四万八〇〇〇人(二〇〇七年二月現在)。筑紫平野の南東部を占め、市の大部分は有あり明あけ海に注ぐ矢部川の沖積扇状地と、低い洪積台地から構成されている。
 そんな筑後市の中心部に、「」というユニークな名前の場所がある。地名の由来は、あの豊臣秀吉の愛犬にまつわる伝説にあるらしい。
 一七〇二(元禄十五)年の『六所大権現縁起』のなかに、「関白秀吉公薩州下向之時、羽ある犬を召し給ふ」とある。これは、九州征伐の際に、秀吉が、まるで羽でも生えているのかと思うほどすばしこい犬を連れていたという話を記したものだ。
 ところが、薩摩に向かう途中でこの犬が死んでしまったため、悲しんだ秀吉は塚を築いた。
 その場所が、現在の羽犬塚があるあたりで、これが地名の由来だというのである。
 一方、こんな説もある。一七七七(安永六)年の『筑後志』に「往昔両翼の犬隠れ住んで往来の人馬を害す。秀吉公九州進軍の時、狩りにてこれを殺し、此所に埋めて石碑を建て、羽犬塚と号す。後年民家を建て駅所となる」と記されている。
 昔、この土地に獰どう猛もうな犬がいて、人や馬を襲っていた。
 そんなときに、九州征伐にやってきた豊臣秀吉がこの猛犬に悩まされたため、退治してしまった。
 しかし、同時にその犬の勇猛さをたたえ、塚をつくって弔とむらったというのだ。
 羽の生えたようなすばしこさは共通でも、二つの説に登場する犬の性質には大きな違いがあるようだ。
 なお、このほかにも、室町から戦国末期における地名だった「灰塚」が変化したとする説や、野犬の霊を弔う犬塚に由来するといった説もあり、いまのところ、真相はよくわかっていない。
 

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