八重洲(やえす) (東京都中央区)
ヤン·ヨーステンが幕府から拝領した「やよす河岸」が語源 東京の玄関口である東京駅周辺は、鉄道利用者のみならず、日々、たくさんの人々でにぎわっている。駅西側の丸の内口はァ≌ィス街だが、最近はさまざまな開発もおこなわれ、新しい来訪者も増えているようだ。
一方、東側の八重洲口には大丸百貨店や地下ショッピングセンターなどがあり、昔から買い物や食事などを目的に多くの人々が訪れていた。
その「八重洲」という名前の由来は、江戸時代にさかのぼる。一六〇〇(慶長五)年、豊ぶん後ごの国くに(大分県)に、ァ¢ンダ人ヤン?ヨーステンとイギリス人ウィリアム?アダムスが航海の果てに漂着した。その後、彼らは徳川家康に招かれて江戸に上り、家康の外交、貿易の顧問となって活躍した。
そして、ヤン·ヨーステンが幕府から拝領して屋敷を与えられたのが、現在の八重洲だった。当時そこは「やよす河が岸し」と呼ばれていて、そこから八重洲町となり、一九五四(昭和二十九)年に八重洲となったのである。
この事実にちなんで建てられたヤン·ヨーステンの記念碑は、現在でも八重洲通りの中央分離帯に残っている。