島原(しまばら) (京都府京都市)
まるで戦のような騒々しさだった、遊郭?島原の移転 京都?西本願寺の西側の地域を「島原」というが、この地名は、あの有名な「島原の乱」に関係している。
島原の乱は、一六三七(寛永十四)年に九州で起きた農民一揆。キリシタン弾圧や圧政に抗議して、天草四郎率いる一揆軍が原城に立てこもり、徹底抗戦の末に皆殺しにされるという事件だった。だが、それがどうして遠く離れた京都の地名に関係しているのだろうか。
それは、京都の島原にかつてあった、大きな遊郭に由来する。その遊郭は、室町時代に足利義満が九条に設けたものだ。それが二条へ移り、つづいて慶長年間(一五九六~一六一五年)に六条へ移るなどたびたび移転した末に、一六四〇(寛永十七)年頃、町はずれだった朱す雀ざく野の、つまり現在の島原の地に移ってきたものである。
ただ、その移転はじつに急なもので、まるで戦いくさのような騒々しさだったという。
それゆえ、当時の京都の人々のあいだでも、すでに有名になっていた島原の乱にたとえられて、島原という名前が付けられたといわれている。
また、一説には、堀と塀をめぐらせた遊郭の姿が、島原の乱で農民たちが立てこもった原城に似ていることから、この地名になったという説もあるようだ。
この島原の遊郭は、衰退しつつも、明治以降も営業を継続していたが、一九五六(昭和三十一)年の売春防止法の実施によって、すでに消滅している。