戦場ヶ原(せんじようヶがはら) (栃木県日光市)
日光の戦場ヶ原では、かつてどんな戦いがあったのか?
栃木県の観光名所である日光·中禅寺湖の北には、「戦場ヶ原」という場所がある。日光火山群の男なん体たい山さん、太郎山、山王烏え帽ぼ子し山に囲まれた、標高一四〇〇メートルの大湿原だ。地名を見たら「いったいどんな戦いがあったのか?」と、誰もが思うことだろう。
日光には、大蛇に姿を変えた男体山の神様と、大ムカデになった赤あか城ぎ山の神様が中禅寺湖を取り合って戦い、男体山の神様が勝ったという伝説がある。その際、弓の名人である猿麻呂の神様が大ムカデを射抜いたことから、日光ではサルが神聖な動物とされるようになったという逸話も残っている。
だが、この戦いが地名の由来になっているのかと思いきや、じつはそうではないらしい。つまり戦場ヶ原は、実際の戦いから付けられた地名ではなかったのである。
戦場ヶ原はもともと「千畳が原」だったといわれる。「千畳敷きもあるほど広い原野」という意味で、これがやがて変化して、現在の表記になったというのだ。
同じように、「千畳」が地名の由来になっている場所としては、南アルプスの「仙丈ガ岳」もある。また、日光と同じ栃木県の都つ賀が町には「合戦場」という地名があるが、これは、この地が赤土層でよい田ができないために農業には向かないという意味の「かせる場」と呼ばれるようになり、これが転じたともいわれる。
いかにも戦いに関係がありそうな勇ましい名前でも、実際にはまったく違う由来である地名も、けっして少なくないのである。