渋谷(しぶや) (東京都渋谷区)
赤さび(しぶ)色をした川があったから「しぶや」となった 東京の「渋谷」は新宿などと並ぶ一大繁華街であり、ファッションなど、さまざまな流行の拠点になっている街でもあるので、とくに若者にとってはなじみが深いだろう。だが、普段我々が何気なく見聞きしている渋谷という地名の由来については、諸説あるようだ。
まず、かつてこの地を流れていた川の水が鉄分を多く含み、赤さびのような「しぶ色」だったために「しぶや川」と呼ばれるようになったとする説がある。
また、かつてこの付近は入江になっており、「塩谷の里」と呼ばれていたことから、その「しおや」が「しぶや」に変わったとする説もある。
さらに、平安時代の終わり頃に、領主である河崎基家が、京都の御所に侵入した賊を捕まえたところ、その賊の名が渋谷権介盛国であったため、重家は「渋谷」の姓を賜たまわり、領地の名も渋谷に変わったとする説もあるようだ。
渋谷は、江戸時代には江戸からの放射路である大おお山やま街道が通り、街道集落としてにぎわった。江戸後期には大名下屋敷も数多く存在したが、明治時代になると荒地になる地域も出はじめた。しかし、それでもその後は開墾が進み、桑や茶も盛んに栽培されるようになる。
一八八五(明治十八)年に、現在の山手線の前身が開通して渋谷駅ができると、渋谷駅周辺は急激な発展を遂げた。昭和初期には多数の鉄道が集まるターミナルとして栄え、デパートを中心とするさまざまな店が並び、日本を代表する巨大な繁華街となっていく。
その後、第二次世界大戦によって大きな被害を受けるが、戦後は渋谷駅を中心にマーケットや飲食店が急成長し、さらに一九六四(昭和三十九)年に東京ァ£ンピックが開催されると、その関連施設も建ち並んでいくことになる。
現在では、若者を中心とした多くの人々が、全国各地から集まる街となっているが、渋谷という地名の由来には、じつに歴史的なエピソードがあったのである。