舞鶴(まいづる) (京都府舞鶴市)
藩名「田辺」は、ほかにもあってまぎらわしい 京都府の北部に位置する舞鶴市は、市の東西と南側を山に囲まれ、北側は若わか狭さ湾に面している。その奥には天然の良港?舞鶴港があることから、古くから漁業が盛んだった。
それと同時に、この地は田辺藩の城下町としても発展したが、「舞鶴」という美しい地名は、この田辺藩の改名に大きく関わっているという。
一八六九(明治二)年に版籍奉還がおこなわれた際、それまでの田辺藩は名前を改めることになった。というのも、「田辺という名の藩は紀伊国にもあってまぎらわしい。ぜひ改称するように」と、太だ政じよう官かんより内々の指示があったからだ。
こうして決定したのが「舞鶴藩」という名前だ。当初は舞鶴と同時に「笠水」という名前も候補に挙がったものの、当時の田辺藩主と同姓の牧野貞さだ寧やすが常陸ひたちの国くに笠かさ間まを領有していたために、混同される恐れがあるとして、笠水という名称は退けられたとされる。
では、舞鶴という名前はどこからきたものなのだろうか。
一説には、この地を賜たまわった細川幽ゆう斎さいと忠ただ興おきの親子が、白鳥峠から、つがいの鶴が飛来するのを目にし、鶴がちょうど舞い降りた場所に築城したことに由来するといわれる。そうしてできた田辺城が、「舞鶴城」という別称でも呼ばれるようになり、それが舞鶴という藩名になったというのだ。
また、田辺城を西の方角から見ると、天守閣がないために、鶴が羽を広げた形に似ているということで舞鶴城という呼び名が生まれ、それが舞鶴藩の由来となったとする説もあるようだ。
もしも、田辺藩が一つしか存在しなかったならば、改名されることなく、この地は舞鶴ではなく、田辺になっていたかもしれないのだが……。