東大和(ひがしやまと) (東京都東大和市)
独立独歩の六か村を「大きな和」でまとめたい 東京都東大和市という地名は、人々の願いが起源となって付けられている。この東大和市の歴史はまだ浅く、一八九〇(明治二十三)年から発足していた六か村組合の努力が実り、一九一九(大正八)年に六か村が合併して「大和村」となり、町制を経て一九七〇(昭和四十五)年に「東大和市」となった。
単純に考えれば、「東大和」という地名は「東にある大和の国」という意味なのではと思うだろうが、じつのところはそうではない。たしかに、東にある大和の国と名付けるにはふさわしいが、その位置している場所は、どちらかといえば、東京都のなかでも中西部。「東」と付くのは、やはり無理がある。
この地名の本当の由来は、清水村?狭さ山やま村·高木村·奈良橋村·蔵ぞう敷しき村?芋いも窪くぼ村の六か村が合併するときに、「合併には大きな和が必要だ」という考えから命名されたことにある。
じつはこの六か村、どの村も独立独歩の精神が強く、合併の話がもち上がる前から、隣村とはほとんど交流がなかった。そのため、実際に協力して大きな和をつくりたいという願いを込めて、そう名付けられたというわけだ。
新しい市名の候補はもちろん数多くあって、近くにある多摩湖から多摩湖市、武蔵の国の大和という意味から武蔵大和市など、かなり有力なものもあったようだが、「大きな和」という考えが六か村の考えに一致していたので、採用されたのである。また、市制施行にともない、「東京の大和」という意味で、東大和市と名付けられたということだ。