オランダ坂(オランダざか) (長崎県長崎市)
正確にいうと、じつは「イギリス坂」なのかもしれないが……
長崎は、海の近くまで山がせり出している土地に港と街が開けたため、必然的に坂道の多い街並みとなっている。それが、いまでは長崎の観光名所「オランダ坂」として親しまれる結果となっている。
ところが、オランダ坂と呼ばれる名所は一つだけではなく、じつは数か所ある。というより、石畳の坂道はすべてオランダ坂ということもできるのだ。
長崎の石畳は、日本が開国した時代、長崎居留地にやってきた外国人たちが伝えた技術だ。彼らは、住まいや教会を山の上に向かって築いていった。目の前は海だったので、山を切り開いていくしかなかったのである。
そして、そのときに造成した坂道がぬかるんですべったりしないよう、切り出した石を敷き詰めて舗装した。それがいまも残り、オランダ坂と呼ばれるようになったのである。
日本が開国で通商条約を結んだのは、アメリカ・イギリス・オランダ・フランス・ロシアの五か国。彼らはポルトガル人が伝えたカトリックとはべつの、プロテスタントやイギリス国教会などの新教を伝えた。もちろん、そのための教会を建て、日曜礼拝もおこなわれたので、当時、坂道にはたくさんの外国人が行き交っていたに違いない。
ところが、当時の長崎の人にしてみれば、外国人といえば出島に出入りしていたオランダ人のことだった。外国人が行き交えば、彼らはみんな「オランダさん」になる。だから、外国人がつくり、よく通った坂は、オランダ坂と呼ばれるようになったのである。
いま観光パンフレットなどでオランダ坂と紹介されることが多いのは、英国聖公会堂跡へと上る坂だ。そこはイギリス人がよく通った坂だから、本来ならば「イギリス坂」ということになるだろう。