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半蔵門(はんぞうもん)
日期:2025-02-28 20:50  点击:252
半蔵門(はんぞうもん) (東京都千代田区)
   服部半蔵が守っていたという江戸城西門
 
 現在は皇居になっているかつての江戸城は、周囲に濠をめぐらして守りを固めていた。城内へは橋を渡ってしか入ることができず、その橋ごとに門が構えられた。その六つあった門のうち、西側の内堀に設けられたのが「半蔵門」である。
 これは、徳川家康の旗本・服部半蔵の名に由来するもので、そばに彼の率いる警護担当の伊賀衆組屋敷があったことからの通称だ。
 ここは、甲州街道の入口にあたり、別名、麹こうじ町まち門ともいうが、門北側の内堀が半蔵濠と呼ばれるなど、服部半蔵の名はそれだけ知れわたっていたのである。
 伊賀出身の服部半蔵は、父の代に三河の松平氏に仕えるようになり、半蔵も十六歳の初陣のときから徳川家康の直参となった。その後、故国の伊賀衆を率いて姉川の合戦、三み方かたヶが原はらの戦いなどで武勲を挙げ、一五九〇(天てん正しよう十八)年の家康の江戸入府とともに与力三〇騎、伊賀同心二〇〇人を支配する石いわ見みの守かみの地位を手に入れている。
 半蔵の名を高めたのは、一五八二(天正十)年の本能寺の変の折、堺に滞在していた家康の帰国を助けたことだ。
 この際、出身地の伊賀衆の力を借りて、家康の山越えを可能にしたのである。これは、「家康の伊賀越え」として語り継がれているエピソードだが、こののちに江戸城を築城した家康が、半蔵に警護担当を命じ、門のそばに屋敷を与えたのである。
 服部家は、半蔵の息子の代で失脚したが、半蔵の名前だけは門の名とともに後世に伝えられている。

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