紀尾井町(きおいちよう) (東京都千代田区)
三家の大名屋敷があった町
東京のJR中央線四ッ谷駅から赤坂見附の交差点方面に向かうとき、外堀通りの左手に広がっているのが「紀尾井町」である。
ここは、江戸時代に紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根藩井い伊い家の大名屋敷があった場所。明治時代になって町名を決めるとき、この大名三家の頭から一文字ずつを取って、紀尾井町という地名が付けられた。
現在は、外堀沿いにあった尾張徳川家の跡地は上智大学に、井伊家跡地はホテルニューオータニになっていて、大名屋敷の敷地面積の広さをうかがわせている。
そして、濠に築かれた土手を背にして尾張徳川家と井伊家のあいだの坂道を下ると、いまは跡地に赤坂プリンスホテルなどが建てられている紀伊徳川家の裏手に出る。
この坂道は、江戸時代から「紀尾井坂」と呼ばれてきた。
下りきった坂道は、右手に清し水みず谷だに公園があり、そこから上りに転じて「清水谷坂」と呼ばれるが、じつは、ここは明治時代に入ってから悲劇が生まれた場所でもある。
一八七八(明治十一)年五月十四日、清水谷坂を下ってきて紀尾井坂の上りにかかろうというところで、時の参議で内務卿を兼務していた大久保利とし通みちが暗殺されたのである。
大久保暗殺の四年前には、紀尾井坂を上りきったところで右大臣岩いわ倉くら具とも視みが襲われるという事件も起こっていた。このとき岩倉は、濠に飛び込んで急場から逃れたという。
いまでは閑静なたたずまいを見せるこの坂道に、当時の悲劇の跡をしのぶことはもうできない。