赤坂(あかさか) (東京都港区)
茜草が生える迎賓館の坂を「赤根坂」と呼んでいた
東京都港区にある「赤坂」という地名は、徳川家康が江戸に入府したのちに一般的になったもので、当時は現在の「元赤坂」一帯の地名だったようだ。
一五六七(永禄十)年に開拓されて人ひと継つぎ村という山畑だった土地を、家康が伊賀の者に与えて一木村と書き、人が住むようになったようだ。
赤坂というのは、その一木村に実際にあった坂道の名称で、いまの紀き伊の国くに坂ざかのことをそう呼んでいた。そこは、赤坂見附から迎賓館に向かうなだらかな坂だが、その坂道には茜あかね草が生えており、坂道一帯の丘陵地は赤根山と呼ばれていたという。
それが、そのまま赤坂という地名になるのだが、集落の名として地図にはじめて赤坂と記述されるのは、一六五七(明暦三)年の地図からとされる。ただし、現在の港区側ではなく紀伊国坂を挟んだ千代田区側にある。
それが、やがて一木、溜池などの付近の土地すべての頭に赤坂を付けて呼ぶようになっていく。
明治維新後には、いまの港区西北部が赤坂区という独立した区として扱われた時代もあった。戦後になって麻布区、芝区と合併して現在の港区が誕生し、赤坂はそのなかの町名となり、しかも元赤坂一、二丁目と、赤坂一~九丁目という広範囲の地名に成長したのである。