亀有(かめあり) (東京都葛飾区)
なんと「なし」を嫌がって「あり」に変えた地元の人々
JR常磐線沿線にある東京の下町「亀有」は、駅前交番を舞台にしたマンガの人気に乗って、すっかり全国区の地名になったが、近くを水戸街道が走るこの一帯は、江戸時代にはすでに交通の要衝として栄えていたという。
それ以前、室町時代の一三九八(応永五)年のこの一帯は、下総国葛西御み厨くりやの範囲と所領高を記録した史料のなかに、「亀無」「亀梨」という地名があるのが、おそらくいまの亀有のことだとされる。
また、一五五九(永禄二)年の小田原城・北条氏の支配下にあった時代の文献にも、亀無・亀梨とある。この頃は、葛西城の城下町としての繁栄をみていた。
東京の低地帯には、亀の背のような島状の高まりのある地形があちこちにみられ、そんな土地に亀の字をもつ名が付けられたというから、亀有もそのなかの一つだったと思われる。
それが江戸時代になると、亀梨(無)村も、水戸街道沿いの交通の要衝としての存在意義が増した。そんなとき、せっかく亀の名前が付いているのに、つづくのが「なし」では縁起が悪い。いっそのこと「あり」にしてしまおうというのが、村民たちの望みだったらしい。
そして、一六四四(正しよう保ほう元)年、江戸幕府が国内図を作成するときに、亀有に改名して認められたようで、『正保年中改定図』には「亀有村」の名が記されている。