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吉祥寺(きちじようじ)
日期:2025-03-03 09:43  点击:240
吉祥寺(きちじようじ) (東京都武蔵野市)
   お寺もないのに、いったいなぜ吉祥寺?
 
 一六五七(明めい暦れき三)年に江戸を襲った大火は、「明暦の大火」「振ふり袖そで火事」といった名称で語り継がれている。そして、その明暦の大火が生んだ地名が「吉祥寺」である。
 江戸城天守閣まで焼け落ちるような大火事のあと、幕府は江戸の町の整備に着手する。だが、ここに振袖火事の特殊性がある。幕府は区画整理をして町を構築し直すために、放火でわざと江戸市中を焼け野原にしたのではないかという疑いがあるのだ。
 吉祥寺誕生の経過を見てみると、その疑いの理由がわかる。
 大火の火元となった本郷丸山町に近い本郷元町にあったのが、曹そう洞とう宗しゆうの吉祥寺だ。現在の水道橋付近である。
 焼け落ちた吉祥寺は駒込村へ移転し、門前町を形成していた人々もともに従った。ところが彼らは、吉祥寺の門前を火ひ除よけ地としてあけ渡すことを、幕府から命じられる。防火用地である火除け地は、大火のあとできた制度によるもので、彼らにすれば体ていのいい立ち退き命令だったともいえる。
 そこで、住民のなかの農民や浪人の代表が相談し、その頃牟む礼れ野のと呼ばれていた五日市街道沿いの地に移住を決めた。一六五九(万まん治じ二)年のことである。
 彼らは武蔵野台地を切り開いて新田とし、その地に自分たちの出自となった吉祥寺という名を付けたのだが、寺がないのに地名には入っていることからもわかるように、門前町の人たちの思いがこもった地名だったのである。
 五年後に吉祥寺村が検地で石高八〇八石と定められたときの家数は六四軒、人口一七四人前後と記録されている。これは門前町まるごとの移動ということになる。

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