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香川(かがわ)
日期:2025-03-03 09:47  点击:238
香川(かがわ) (香川県)
   この県はなんと、かつて二度も消滅したことがあった
 
 以前は「香川」というと、もちろん四国の県だとはわかるものの、正確な場所を即答できる人は多くはなかったかもしれない。しかし、近年では「あ、昔の讚岐さぬきのことね」とわかる人が増えたという。これは、当地の名物、うどんのもたらした成果といえよう。
 とこれで、この「香川」という地名の由来については諸説あり、樺かばの古木が川に落ち、辺り一帯がその木の香りに満ちていたことから香川となったという説や、香川の「香」は温泉の香りのことで、「川」とはその温泉のことだとする説などがあるようだ。
 現在の香川県は、その旧讚岐国を県域としている。ただ、この形に落ち着くまで県は二度も消滅し、現在はなんと「三代目」の香川県である。
 じつは明治維新まで、讚岐には高松・丸亀・多た度ど津つ・津山の各藩があり、小しよう豆ど島しまのような天領もあった。これらの藩領は、維新と同時に新政府に振り回されることになる。
 まず、天領が一八六八(明治元)年に倉敷県となったのにはじまり、旧藩は離合集散を繰り返しながら、一八七二(明治五)年に旧讚岐国がそのまま香川県となった。これが初代香川県である。
 ところが、県域が狭かったこともあり、翌年には名みよう東どう県を名乗っていたいまの徳島県に吸収される。しかし、徳島域にあった吉野川治水費用の負担で税率が上がったのを理由に分県を主張し、一八七四(明治七)年には独立をする。これが二代目香川県である。
 その後、府県の財政確立には県域が広いほうが有利との政府判断で、香川県は、今度は愛媛県に吸収されてしまう。こうして、二代目香川県はわずか十一か月で終しゆう焉えんを迎えたのである。
 それでも香川県民は、独立を願った。一八八三(明治十六)年に独立を政府に願い出て辛抱強く待ち、一八八八(明治二十一)年になってようやく香川独立を勝ち取ったのだった。これが現在の三代目香川県である。旧讚岐国域をそのままに、日本でいちばん面積の小さい、そして最後に誕生した県というわけだ。

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