大横川(おおよこがわ) (東京都墨田区・江東区)
南北に流れる川なのに「ヨコ川」という不思議
東京都墨田区。この地には運河が縦横に整然と走っているのだが、その理由は、江戸時代に発生した「明暦の大火」による。この大火をきっかけにして、現代でいう区画整理のようなものがなされ、防火用水を兼ねた水路としてつくられた運河があるのだ。
そのため、地図に直線で描ける川が隅田川から引かれているのだが、その川の名前がちょっと不思議なものとなっている。
南北に流れる川が二本、地図でいうと、縦に流れているのにもかかわらず「大横川、横よこ十じつ間けん川」というように「ヨコ」の字が付いているのである。
どうせなら、大縦川か縦十間川でないとおかしいとも思うのだが、そのカラクリはこうだ。
現在、私たちが目にする地図は、南北を縦軸にして、上が北で下が南、右が東で左が西とおおむね決まっている。ところが、古代は東西が縦方向の中心軸だったのである。
なるほど、そうやって考えると江戸城から見たときに、大横川は横に流れている大きな川なのである。
しかし、なぜそうなっていたかというと、当時はお城や藩主を第一に考える風潮だったことによる。見やすさや方角云うん云ぬんよりも、まずは、藩主のいる城を地図の上部中央に据える。そして、そのまわりを書き込むというつくり方だったのである。
だから、江戸の景観図などはすべて西が地図の上、大坂図や伏見図、奈良図では東が上、横浜図では南が上、鎌倉図などでは北東が上になっている。そして長崎図などは、西北西が上なのだそうだ。みんな好き勝手に地図をつくっていたのである。
ちなみに、大横川と同じ理由で、現在の地図では横に流れているのに「竪たて川かわ」という川もある。竪は縦の意味で使われているので「縦に流れる川」の意味をもっている。この竪川流域が現在の「立たて川かわ」(東京都墨田区)となっているのである。
