焼津(やいづ) (静岡県焼津市)
ヤマトタケルノミコトが焼き払って敵を倒した地
「焼津」という地名は、『古事記』や『日本書紀』にも登場する由緒ある地名である。
ヤマトタケルノミコトが東征の途中、ある地で賊に襲われた。そして、焼き殺されそうになったときに、草をなぎ倒して火を放ち、難を逃れたという。この言い伝えから、この土地を「焼津」と呼ぶようになった。
『万葉集』第三巻の詩などからわかっているのは、奈良時代には、現在の焼津の地域よりも、ずいぶん広い範囲を指して焼津といっており、かなりの発達した集落があったということがわかっている。また、鎌倉から室町時代にかけては守護の支配を受け、安土桃山時代には、武田・今川、武田・徳川の合戦の最前線でもあった。
そのため、市内には石脇、方ノ上、花沢などの城跡がいまでも点在しているし、焼津神社は、ヤマトタケル東征の事跡を伝える神社としても有名なのである。