第2課 日本列島に住みついた人々
日本人の祖先はどこから来たのでしょうか。はっきりしているのは、日本が大陸から分離する前に日本列島地域に住んでいた人たちは、大陸の住人だったことです。その多くが北方系、或いは南方系のモンゴロイドであることは明らかで、日本語がアルタイ系言語(モンゴル語、満州語、朝鮮語など)に属することはよく知られています。蝦夷地(=北海道)にはアイヌ民族も住んでいましたが、その系統については定説はありません。
やがて気候が温暖になると、日本列島には針葉樹林や大型動物にかわって落葉広葉樹林や中小動物が増え、人々は土器や弓矢や磨製石器を使うようになりました。この土器は縄目の文様を特徴とすることから縄文土器と呼ばれ、その生活文化を縄文文化と言います。縄文人は竪穴住居に住み、主に狩猟や漁労、木の実の採集によって生活していました。この時代は約1万3000年前から前400年ごろまで続きますが、縄文中期には、雑穀や陸稲、豆などを栽培するなど、原始的な農耕を行う地域が生まれています。
紀元前5世紀末になると、中国大陸からの影響を受けて、縄文文化にかわる新しい文化が九州地方に生まれました。この文化は褐色で薄手の弥生土器を伴うことから弥生文化と呼ばれますが、青銅器や鉄器などの金属器を使用し、水稲農耕を行い、村落生活を営んでいます。これらを伝えたのは朝鮮半島から渡ってきた人たちで、この水稲農耕は半世紀経つか経たないうちに東北地方にまで広がりました。この弥生時代を通して、半島からの渡来人と縄文人との混血が進み、現在の日本人の祖先となるのですが、この弥生時代は小国乱立と戦乱の時代でした。その混乱を収束させたのが、4世紀中頃に成立した日本最初の統一政権である大和朝廷です。この大和の大王が、後に天皇と呼ばれるようになります。
当時の日本は中国から「倭」と呼ばれていました。中国の史書「後漢書」や「魏志倭人伝」には、「倭国は紀元前後には100余国に分かれていたが、長い倭国大乱を経て、3世紀ごろには卑弥呼を女王とし、約30の小国が従う邪馬台国が生まれた。」と記されています。また、「魏志倭人伝」には「男はみな入れ墨をする。女子は髪を束ねて、布の中央に穴をあけ、そこから頭を出して着ている。気候は温暖で、年中生野菜を食べ、裸足で生活している。人は手づかみで食べ、酒好きで、100歳や80~90歳くらいまで長生きする人が多い。」とも書いてあります。確かに、生野菜を食べる、酒好き、長生きなど、現代日本人にも通じますね。
ちなみに、国家統一を実現した大和朝廷の時代になると、日本人は「倭」という言葉を嫌い、同音の「和」という漢字をあてるようになります。これが「和語」「和食」などでなじみの「和」の起源です。
一方、北の蝦夷地に住むアイヌ民族は倭人のことを「シャモ」(「隣人を意味する語)と呼びました。その名前のとおり、倭人とアイヌ民族は、縄文以来、お互いに隣人として平和的な交易関係を結んでいました。しかし、15世紀になると、倭人のアイヌの地?北海道への侵攻が強まりました。この倭人の侵略に対してアイヌ民族は何度も蜂起し、大きな戦いを繰り広げましたが、最終的には敗北し、江戸時代には松前藩の支配下に置かれました。そして明治以降は、アイヌ民族を「旧土人」と蔑視する明治政府の強圧的な同化政策が行われたため、アイヌ固有の慣習?文化はほとんど途絶え、現在では民族の人口も2万7000~8000人へと大幅に減ってしまったのです。
新しい文型
~にかわって
~ことから
~によって
~か~ないうちに
~を通して
~に対して