第4課 「かな」の発明と日本語の世界
今でこそ日本語は漢字、ひらがな、カタカナと三種類の文字を使って表していますが、もともと日本には固有の文字がありませんでした。そのため、大陸から伝わった漢字の音を使った万葉仮名を発明し、日本語を表していました。それは「安(あ)、加(か)」などの音仮名と、訓を使った「三(み)、女(め)」などの訓仮名とに大きく分類されますが、中国語でイタリアを「意大利」と書くのと同じだと思えばいいでしょう。
仮名はこの万葉仮名から生まれました。一音一音に漢字を充てていたのでは時間がかかるため、偏やつくりだけを使って作られたのがカタカナで、例えば「伊」と書いていたものを「イ」と書き、「呂」を「ロ」と書きました。一方、漢字をくずした草書体から生まれたのがひらがなで、「以」がくずれて「い」となり、「波」から「は」ができました。仮名が使われるようになったのは平安時代初期と言われますが、この仮名が発明されてはじめて、日本人は自らの感情を自由に文字で表せるようになったと言ってもいいでしょう。このひらがなは、はじめは女性が手紙などを書くときに使っていましたが、「源氏物語」や「枕草子」などの女流文学作品がひらがなを用いて著されると、男性も使うようになり、以後、ひらがなは「文学のための文字」として貴族の間に広く浸透しました。
言語というのは、その国、その民族の文化の根底にあるもので、本人が自覚しているかどうかにかかわらず、その民族の自然観?人生観が刻まれており、国民性をつくり出しています。例えば、日本人は「お茶が入りました。どうぞ」と自動詞を使いますが、中国人は他動詞を使います。日本人が「魚が釣れた」と自動詞を使うとき、中国人が「魚を釣った」と他動詞を使います。ですから、中国名「釣魚島」は、日本名が「魚釣島」なんですね。また、希望を表すとき、英語や中国語では動詞を使いますが、日本語では「~たい」と形容詞を使います。好悪の感情を表すときも、「好く」「嫌う」という他動詞を使わないで、「好き」「嫌い」という形容動詞を使います。
このように日本語には自動詞や形容詞などの状態性の表現を好み、意志性の表現を避ける傾向があるのですが、ここに欧米の「対自然」の文化と日本の「即自然」の文化の違いがあると指摘する学者もいます。この言語が持つ自然に対する態度は根元的なもので、個人の社会観や生活観にまで及んできますから、日本人の自然や世の流れにそって生きることを重んじる傾向や、自己主張するよりも周りとの調和を第一にする精神風土と、自動詞?「なる」や形容詞好きの日本語は、どこかで結びついているのかもしれません。
また日本語は幅広い敬語体系を持っていますが、それは韓国語のように場面や聞き手に関係なく、常に一定の敬語を使う絶対敬語ではなく、例えば自分の会社の木村社長のことを、顧客に対しては「木村はただ今出かけております。」と呼び捨てにし、謙譲語を使うなど、場面と相手によって使い分ける相対敬語です。そのため、話し手は絶えず話し相手や話題の人物との社会的な関係がどうかに気を配らなければなりません。日本人がビジネス以外にも、初対面の人とは頻繁に名刺を交換するのは、日本人にとって相手の所属する会社名と役職などの肩書きを知ることがコミュニケーションする場合の最優先課題だからです。ですから日本人は名刺を受け取ると、名前ではなく、真っ先に肩書きに目が向かうんですね。
このように言葉と文化は切り離せない関係があるのですが、外国語学習にとって大切なのは、この言語や生活行動の背後にある「見えない文化」の違いを知ることではないかと思います。この「見えない文化」の違いを理解していないと、コミュニケーション?ギャップが生じがちなのです。
新しい文型
~てはじめて
~にかかわらず
~に沿って
~によって?
~にとって
~がちだ