第25課 高まる改憲論、日本はどこへ行く
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日本国憲法が1947年に施行されてから5月3日で57周年を迎えた。憲法記念日に際して、主要各紙は憲法に関する世論調査を実施した。朝日新聞が調査したところ、「改正する必要がある」が53%で、「改正する必要はない」は35%だった。9条については「変える方がよい」が31%(前回17%)に増加し、「変えない方がよい」は60%(前回74%)に減少した。朝日新聞以外の主要各紙でも、ほぼ同様の結果が出ている。
思えば、憲法改正論議の転機となったのは、1991年の湾岸戦争をめぐる国会論議だった。湾岸戦争の際、日本は「憲法上(第9条)の制約」を理由に軍事活動へは参加できないとし、かわりに総額130億ドルの支援をしたが、多国籍軍に参加した諸国からは、「人的貢献」がないという厳しい批判にさらされた。この反省から、海部内閣は、1991年、自衛隊の海外派遣を可能にする「国連平和維持活動協力法案(PKO協力法案)」を国会に提出した。国際貢献のあり方をめぐって、激しい論争が展開され、結局、人道的援助と武力行使を伴わない後方支援を条件に、1992年6月に多数決で可決された。しかし、一旦自衛隊海外派遣の道が開かれると、小泉内閣は、2001年9月の米同時多発テロ以降、アフガニスタン戦争の後方支援を口実にして、海上自衛隊艦艇をインド洋に派遣し、続いて陸上自衛隊をイラクに派遣した。
日本国憲法第9条は、その第一項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を諏gに希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。イラクへの自衛隊の派遣は、いかに人道支援という名目をつけようが、実質的には米英軍への後方支援としか言いようがなく、与党内でも「憲法と現実の乖離」を指摘する声が増大した。
こうして改憲論議が活発化したのだが、その最大の焦点は9条の改正にある。小泉首相は、2001年、「日本近海で日米が共同行動をしていて、米軍が攻撃を受けた場合、日本が何もしないということができるのか。集団的自衛権を行使できるものなら、誤解のない形での憲法改正が望ましい」と言っている。だが、9条が改正され、集団的自衛権が容認されようものなら、今までの「専守防衛」「武力行使を伴わない支援」という枠が外され、戦闘を含む日米共同作戦行動へと自衛隊の軍事行動が拡げられることになるのは、火を見るよりも明らかであろう。憲法が改正され、自衛隊がイラク戦争のようなアメリカの始める戦争に参戦するようになってから、悔やんだところで手遅れなのである。
21世紀の日本が進むべき道は、ともすれば国連を無視し、軍事行動に走る嫌いがあるアメリカに追随する道なのだろうか、それともUNDP(国連開発計画)が提起している「人間の安全保障」の道なのだろうか。UNDPは、人間が飢餓や欠乏の恐怖から解放されることなしに世界平和の実現もないと、全世界に「力の論理」への偏重を改め、「国家の安全から人々の安全へ」「領土の安全から食糧、雇用、環境の安全へ」と、安全保障政策の発想の転換を呼びかけている。日本国憲法が示しているのも、また、平和主義にたった非軍事国際貢献であり、「我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。…日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と憲法前文でも宣言しているのである。
今、改憲勢力が憲法改正案を国会に提出できないでいるのは、9条維持の国民世論の方がまだ高いことにある。しかし、悲惨な戦争体験が風化するにつれて、9条改正論が増えているのも否定しがたい事実である。護憲か改憲か、いずれにせよ、その正念場は近づきつつある。
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新しい文型
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~た-ところ
~う-が
~ものなら
~た-ところで
~嫌いがある
~ことなしに