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日语能力考试一级阅读精选问题集(61)
日期:2012-12-18 09:52  点击:454

 たくさんの子供たちが、今年もお盆休みに旅をしたに違いない。祖父母の待つ田舎へ、海や山へ。目的地に向かう車内で、彼らの視線は一様に下へ。ゲーム機、携帯電話、コミックなどに向けられたままだ。車窓を流れる景色には、とんと関心を示さない。

飽かずに車窓にへばりついる子供を、近ごろめったにみかけなくなった。在来線(ざいらいせん)ではわずか8%だったトンネルの比率が、東海道新幹線では13%、上越新幹線では39%にもなり、行程の4割は闇を走る。しかも、町中では遮音壁(しゃおんへき)が線路を覆い、景色は見えない。映りの悪い車窓という小劇場を、子供たちは見限ったのだろうか。

たまに車窓に映る景色は、野立て看板に原色ののぼり……。かわりばえのしない、全国どこも似たような「注1」金太郎あめ。変化に富んで懐が深いはずの日本の風景が、車窓からは見えてこない。当然、刺激的に作られたゲームやコミックの画像に「注2」軍配は上がる。

出来合いのおぜん立てされた「美」と違って、現実の景観は雑多な要素が混在している。その「注3」カオスの中から、自分なりの価値をくみ取る感性は、風景の荒廃とともに薄れてゆく。風景への無関心は、他者への無関心につながる。「車窓にへばりつく子供」の減少は、無造作で殺風景な世の中前ぶれかもしれない。


(「春秋」2004年8月16日付日本経済新聞により)

「注1」金太郎あめ:どこを切っても同じ顔を出てくる長い棒状のあめ
「注2」軍配は上がる:勝つこと。相撲で行司(審判)が勝った方へ持っている軍配を上げる
「注3」カオス:混沌

問 筆者は「『車窓にへばりつく子供の減少』」の原因は何だと考えているか。

1 子供たちが他者に対して無関心だから
2 景観には雑多な景色が混在しているから
3 自分なりの価値をくみ取る感性がないから
4 風景がどこでも似たようなものだから

答え:4

 

一定有许多孩子们今年也是在盂兰盆时旅游。去祖父母所在的老家,去大海群山。朝着目的地出发的车厢内,他们视线一律往下。一直对着游戏机,手机,漫画。对于流动车窗景色,一点也不关心。

最近不太容易见到那些毫不厌倦黏在车窗上的孩子了。区间线仅8%的隧道比例,东海道新干线13%,上越新干线达39%,约40%在黑暗中行驶。而且在街道中覆盖着隔音墙,看不见景色。照明条件差的车窗这样的小剧场,孩子们放弃(趴窗)了吧。

偶尔扫一眼车窗景色,立在野外的招牌上原色(红黄蓝)的旗帜……毫无起色,全国到处都像是金太郎糖果。原本在千变万化中深刻内涵的日本风景,从车窗那都看不见。当然,要算作刺激性产物游戏漫画的画面取胜了。

和成品“美”不同,现实的景观混在这琐碎的要素在其中。那混沌之中有着理解自身价值的感性,随着风景的荒芜而逐渐淡薄。对风景的不关心与对他人不关心联系在一起。“趴窗族的孩子”减少,也许轻而易举动摇了煞风景的世间。

解説:第三段落に景色は、「全国どこも似たよう」だから、ゲームやコミックに「軍配が上がる」とある。


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